ある男の写真日記
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先にアップしまいた名古屋市港区築地口の木造長屋の 右端には未だに当時のままお豆腐屋さんが営業されていました。 感動してしまいました。 写真の左に続く長屋は全てめし屋さんは廃業しているにも関わらず 頑張って続けて欲しいと思います。 だって、手作りの豆腐屋さんの作る豆腐って スーパーの安い工場で大量に作る豆腐とは味が違いますからねぇ。 Nikon FG20 Silberra PAN50
otokichiさんいつもコメントありがとうございます! otokichiさんはお若いからご存じないと思いますが 私がまだ幼い頃 緒形拳主演ドラマ「豆腐屋の四季」というドラマがありました。 お袋が観ていたので一緒に観てました。 ドラマでは朝の3~4時頃の早朝に起き豆腐の仕込みに入る緒形拳がいました。 その頃から豆腐屋さんって大変なお仕事だなぁと子供心に思いました。 時は流れ 大學を卒業し就職したのは火災保険の共済組合でした。 そこで営業職で名古屋を飛び回ってましたが 最初に担当したのは愛知県豆腐組合でした。 今でも存在するのかは分かりません。 当時は組合事務局が代理店なってまして 各支部の会合に出席し説明したりして後日一軒々回って販売促進する 営業をしておりました。 その時に夫々の豆腐屋さんを訪ねると独特なにがりの匂いは今でも忘れません。 ある時一軒の豆腐屋の主人から 何度も訪れて話をして信頼を得てから保険を切り替えるものだと言われた記憶があります。 営業の基本でしょうね。(笑 当時から既に個人商店の豆腐屋さんは下降気味でした。 と言うのも組合で価格を決めてそれぞれ販売してましたが 大手スーパーに大量仕入れの値引きを迫られ 組合員の中でやむを得ず安値で降ろし そして値崩れが起きると個人商店には大打撃だったことでしょう。 当然スーパーに納品するような工場生産の組合員は退会して営業することになります。 組合の存在意味は戦後の大豆の大量購入やらその他諸々のことでしたが 時の流れとともにその存在意味もなくなってきてしまったことも 理由の一つだと思います。
2022年05月14日07時18分
otokichi
こんばんわ、いつも有難うございます^^ お豆腐屋さん、もの凄く大変なお仕事ですよね。 大学の時、親友の父上が亡くなってしまったのですが、彼の家が 豆腐屋で、手がまったく足らないとのことでしょっちゅう手伝いに行って いました。冬場はほんと辛かったです。 手作りの豆腐、美味しいですよね。 昔はバイクで家の前まで豆腐屋さんが来て、ラッパ吹いて近所の人達 が出てきて買っていたものです。 そのまま井戸端会議になり、今思うと それが地域のコミュニケーションだったのだなあ、と昔のシステムはよく 出来ていたものです。 ビジネス的にも大変御苦労なさっているかと思いますが、次の代、その先 まで続いて欲しいと勝手ながら思ってしまいます。
2022年05月13日23時33分