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野を彩った紅い花群にも、終焉の時は来る。 虎は死して皮を残すと言うが、ひなげしは散りて実を残す。 虎の皮は人間のためだが、ひなげしの種は種の保存だ。こちらの方がはるかに自然の理に沿っている。しかもこの花の名は長実ひなげし。文字どおりの長い実は、なんと1000粒の種を孕むと言う。 紅い花弁は風に散り、いかにも貧相な実が現れる。しかしこの貧相な実こそが、虞美人草の、あの爽やかなそして妖艶な、花を咲かせる旅の目的だったのだ。 間もなく長実の中の無数の種が風に舞い、新たないのちがそこここに育まれるだろう。
衝撃的な変身ぶりに出遭ってしまった一昨日。。。 あの妖艶な美はすべて子孫を残さんがための企みでありましたか ただ、風任せ雨任せの種たちの旅なのですよね さては、美しいヒトも子孫を残さんがために在る なんて思ってしまう(^-^;
2020年05月07日10時06分
はなてふさんとHATTUさんの衝撃を解消すべく付け加えたこの一編です。 種たちは風任せ雨任せなのではなくて、風に依り雨に頼るのです。すべてが己だけで事足りる存在はありません。大きな働きの中で、寄り合い支え合って存在できるのです。私たち人間もまたしかり。 美にはそれなりのメリットがあり、また代償もあります。そうではなくとも、そうではないメリットがあるはずです。ものごとは、すべて相対的なのですから。この一枚の中にそのことが凝縮されているでしょう? 大切なことは、ものごとをそのように見る目、洞察の目を持つかどうかです。にほひをこせよの固定愛読者である、はなてふさんならよくお分かりでしょう。
2020年05月07日12時15分
>種たちは風任せ雨任せなのではなくて、風に依り雨に頼るのです。すべてが己だけで事足りる存在はありません。大きな働きの中で、寄り合い支え合って存在できるのです。私たち人間もまたしかり。 そうですね 吉野 弘さんの詩の中にもそんなことが書かれていたのを思い出しました 洞察の目 まだまだのようですね(^-^;
2020年05月07日12時58分
ゆらゆらと風に揺れる芥子の花っこはみていていいもんだすよねぇ 写すのはむずがっし! こんなふうに優しげになっがなが写せねっすもの~ 種~んだっすどなぁこった中さ、こったにじっぱりって位の種ッコ! そりゃ増えるべなぁ 弱々しげな茎ッコだでも丈夫なんだべなぁ
2020年05月07日14時47分
ぢ〜さん 小さいものの表現で、芥子粒のような、って言いますよね。 芥子の種は小さいのです。わずか2cmほどの実に、なんと1000粒! いえ、数えたことはありませんがね。 だからこの茎は強いのですね。折れているのを見たことがありません。
2020年05月07日23時23分
写楽旅人さん なんとも嬉しいおっしゃり様。ありがとうございます。 プラナー45mmのフォーカスリングが回らなくなってしまったので、最近はもっぱらこれです。望遠なので、プラナーの代わりには、ニコンの35mmを使っています。すべて古いレンズです。
2020年05月08日23時30分
ペペロンターノ
「おわり」という名の実は、「はじまり」という種でもあるのですね。 地球上に風が吹き続ける限り、命の旅は未来永劫続いてゆくのでしょう。 人間の旅も同じなのかもしれません・・・。
2020年05月07日01時16分