yoshi.s
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J
B
倒された草の中から起き上がった背高泡立草。 直角に立ち上がった姿に、いのちの力を感じる。 長く伸びた影にその秘められたポテンシャルが見える。 画は3日前のものだが、彼は今日も立っていた。 明日も、明後日も立っていろよ。
旅鈴さん ほんとうにそうですね。自然の有り様に教えられます。 これも写真をやるようになって、周りをよく見るようになったからこそです。 写友に、仲間に感謝します。
2019年10月21日09時08分
いずっちさん 写真は16日のものです。 今朝まではこの状態で元気でした。しかし今日の風雨で夕方には倒れていました。あの台風でも倒れなかったのに。 でもよく見ると、折れてはいないようです。また立ち上がって来るかな? がんばれ。
2019年10月22日20時34分
ジョニー森永さん はい。 *一般社会での概念 1.掌編: 掌編小説のこと。1枚〜10枚ほどのとても短い小説。作った物語です。 短編小説(50〜200枚程度)に対応し、それよりも短い小説のこと。 2.エッセイ: 随筆。思ったこと、感じたことを虚構を入れずに書くこと。 3.俳句、短歌、詩など: 一般的な概念のとおり。 *このPHOTOHITO上の、写真〇〇の概念 1.写真掌編:本来は、写真と掌編小説のコラボ。 しかしこのPHOTOHITO上では概念が広がり、俳句、短歌、詩、短いエッセイなど も、写真とのコラボならば、写真掌編とも呼んでいます。 2.写真エッセイ:写真とエッセイとのコラボ。写真キャプションや、それに付随する思索なども これに含まれます。 3.写真句:写真と俳句。 写真歌:写真と短歌。 写真詩:写真と詩。 これらを写真掌編と呼ぶこともあります。 4.写真文芸:以上を総じて写真文芸と呼びますが、現実には写真掌編とタグ表記されています。 *つまり、本来、短い小説の意だった「掌編」が、短い文章と解され、俳句、短歌、短エッセイなど、短文すべてと解釈され、写真とコラボすれば、すべて写真掌編と呼ばれるようになった訳です。しかし本来は、写真掌編は、写真プラス掌編小説(1〜10枚ほどの短い小説)のことです。 *上記はすべてこのPHOTOHITO上でのことであって、一般での理解とは一致しません。一般には、「掌編」自体は、あくまでも掌編小説を指します。、短編小説を単に短編と呼ぶがごとくです。 なお、写真〇〇という言い方は、このPHOTOHITO上での造語です。 *タグ欄に、単に「掌編」とあるのは、掌編クラブの略で、写真プラス文芸の活動をする人を指します。これは自称でよいのです。 掌編クラブについては、拙「春の気配」の、コメント欄中段ほどにある「掌編クラブについて興味ある方に」をご覧下さい。 https://photohito.com/photo/7503317/
2019年10月24日19時34分
ジョニー森永さん 早速ご丁寧にありがとうございます。 おっしゃる通り、あまり堅苦しく捉えない方がよいと思います。 もとより、規則があった訳でもなく、今だってないのです。 ただみんなが寄って、なんとなく上記のような形になったのです。 ジョニーさんは、これまで通り写真掌編、または写真エッセイでよろしいのではないでしょうか。できれば、掌編タグもどうぞ。 合い言葉は、のんびりゆったり、です。どうぞそのようにおやり下さい。
2019年10月24日20時34分
ninjin
法律によってヨウチュウイガイライセイブツに指定された君 秋の花粉症の犯人はお前だ!と指名手配された君 薄が風に揺れる枯淡の日本の風景をド派手な黄色で染め上げる君 よく似たブタクサと間違えられて憤慨している君 しかし踏まれても刈られても 立ち上がる力を見せつける君こそ 翠の黒髪を茶髪に染めだした日本人に似合う「時代のハナ」なのだろう。 早々のコメントありがとうございます。 久々に目にした野生の白鳥の姿に写欲がよみがえりそうです。
2019年10月20日15時08分