yoshi.s
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J
B
東京駅。 バスを待つ。 八重洲口に、大きな屋根兼プロムナードがある。つまり室外の2階。テラスのようなものだ。 彼も時間待ちなのだろう。でも、ケータイがあれば、一人でいようが二人でいようが同じだ。 いいことなのか、そうでないのか。
ninjinさん ずばり。その通り。 切れ味鋭いコメントです。 でも、どうせなら両方、ねえ・・。どちらも可能なんだもの。 それには・・、自制心が要ります、ね。
2019年10月01日15時28分
(ヘンテコなコメントばっかり連発していますけど・笑)実は私、今でも手書きの手紙が一番好きなんです。 今思うと、フィルム写真のようでもありますね。 手の中に握りしめているものが、目の前の眼差しも声も「沈黙」に変えてしまった。 「書く」、「待つ」・・・、「動詞」が少しずつ奪われてゆく世界・・・。 yoshi.sさんの句、手書きの写真句として誰かに送れば、さらに喜ばれるでしょうね。
2019年10月02日03時43分
ペペロンターノさんの写真作品を見れば、手書きの手紙、のことはよく分かります。 手の中に握りしめているものが・・・、の文はいいですねえ。 さらに、・・・「動詞」が少しずつ奪われて行く世界、という視点、表現は素晴らしい。 ペペロンターノさんの写真掌編を味わってみたい。 如何ですか? 写真掌編の概要は、拙「春の気配」のコメント欄をご参照。https://photohito.com/photo/7503317/
2019年10月02日14時39分
私もこうしてネットで皆さまと繋がっていられて、 喜んでいる一人です。 思えばこのサイトを知る前は、古い友人と、手紙や メールのやりとりだけで、それもいつか滞りがち。 今は時間があれば、PCやスマフォで皆さまと交流ができ、 とても有り難く思っています。 特に私は、介護で家を離れるのが困難なので、 家に居ながらにして、外の方と交流できるのが 有り難く嬉しいのです。 類は友を呼ぶで、書くのや読むのを好きな方が多く、 色々と刺激を受けています。 コメントを通して、その人となりを想像して 仲間に入れていただいている幸福を感じています。 写真サイトにあっては、異端な存在かもしれませんが、 掌編クラブも存在することですし、これからも お互いに切磋琢磨して、楽しみましょう。
2019年10月03日07時22分
以前も書きましたが、離婚した知人の男性、 娘さんに面会の日、彼女がスマフォばかり見て 生返事ばかり返ってくるので、嘆いていました。 束の間の逢瀬をお父さんは楽しみにしていたのに。
2019年10月03日07時28分
ねえ、旅鈴さん。 このサイトで写友の皆さんと交流できることは人生での新たな喜びです。 まして掌編クラブに参加されている、写真+文の好きな方たちとの交流は、創造的で刺激的です。 ただ、私たちも、耽溺は恐れないとね。自制心です。 哲人曰く。「ある人たちは、人生を思い通りに生きている。またある人たちは、人生がおのれを思い通りにするにまかせている。どこに違いがあるのであろうか」
2019年10月03日09時31分
ninjin
昔 ひとは、目の前にいる人としか話ができなかった。 遠くのひととは、思いを交わすだけだった。 現代(いま) ひとは、地球の裏側のひととも話ができる。 だけれども目の前のひとと思いを交わすことができなくなった。
2019年10月01日14時56分