プーチンパパ
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忠魂碑。珍しいことに、この碑は、個人の軍人を対象に、しかも、陸軍近衛歩兵伍長を讃えるものです。彼は誰々の子で、明治36年入隊、どこでどんな活躍をしたか、ついには明治38年の清国奉天の戦いにてこれこれの状況で死力を尽くして奮戦せしも、命をささげるに至った。君の遺骨はふるさとに戻ってきたよ、国からお金が出たよ、などなど、心情あふれる手向けの言葉が綴られていました。
たま407さん コメント有難うございます。布田にそんな碑があるんですか。何かそこに建立するいわれがあるのでしょうか。 きっとこの地出身の人たちなんでしょうね。
2013年07月30日21時02分
そうですね。近藤勇は地元出身(現在の東京都調布市野水)ですから、息子も他の地元出身の戦死者と一緒に慰霊碑に名を連ねているのだと思います。 それから調べたところ、日露戦争で戦死したのは近藤勇の子供ではなく、娘たま(25歳で死去)が生んだ孫の久太郎でした。失礼しました。
2013年07月31日00時37分
たま407
個人対象ではありませんが、多摩川を越えた京王調布駅前の布多天神社の境内の片隅に同様の日露戦争戦死者の大きな石碑が立っていて、刻まれた戦死者の中に近藤勇新撰組局長の息子の名前を見ることができます。確か少尉だったかと思います。
2013年07月29日23時09分