ち太郎
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この日は休業日なのでお客さんの姿はありませんでした。 美しかったです。一周するだけで気持ちが洗われます。 この場所を頂上と考え、我善坊坂(稲荷坂)を戻ります。 次からは過去写真を中心に、Webマップで消されてしまった地域閉鎖される直前の風景をポストします。 この日は、偶然にもすぐ近くに住んでいらっしゃる方と少しお話ができました。 2023年12月14日撮影 FD24mm/F2.8 1/250秒 f4(-1/2) Kodak Gold200 ↓下記に続く。
こんにちは。 この全滅した街を拝見するに当たって、私はあるひとつの村の全滅を頭に描いていました。 ダムに村全体が水没した村です。 T山ダムと言います。 このダムが出来るまでは四国の清流四万十川と同じくダムのない清らかな流れの川でした。 治水を理由に県が村の土地全体を買い上げ、巨大なダムを建設しました。 ダムに沈むこととなった村の方々は安い地価で土地を買収され、蜘蛛の子を散らすように県内各地の望まざる地域へ転居を余儀なくされました。 高校時代、ダムに飲まれた村出身の同級生がいました。 私は迂闊にも出身地を知らず、どこの中学校だったん?と聞いてしまいました。 普段は明るく活発な子でしたが私が聞いてしまった瞬間表情を落とし、〇〇中学よ、とダムに沈んだ中学校の名前を口にしました。 今どこなの? と聞くとXX町よとうつむき加減に答えました。 時既に遅し、悪いことを聞いてしまったとその先話が途絶えました。 行政に故郷を戻らぬ水の底に沈められ、察するに余りある故郷強奪の暴挙を前に言葉を失ってしまいました。 あろうことかそればかりではなく、巨大ダムにより川砂利が堰き止められ、河口の砂浜に川砂利が運ばれなくなり浜が後退しました。 人を追い、自然を破壊し、行政官は何を思うのか? そんな権利が人間にあるのか? 行政への怒りと憎しみが込み上げてきました。 主権在民とは何なのか? 故郷を無くされるとはどういうことなのか? 現在の我々に突き付けられたこの疑問に行政官はどう答えるのか? 薄っぺらな紙切れに押される印鑑ひとつで突然に変わってしまう現実を許すわけには行きません。 この記憶がち太郎さんの全滅の街とオーバーラップすることは言うまでもありません。 私の高校時代の記憶までです。 2024.01.12. Fri. 雪よ もう一度だけこのときめきを celebrate 一人泣き濡れた 夜に white love… TeaLounge EG
2024年01月12日14時34分
>TeaLounge EG様 んんんっ、コメントを拝見しまして返す言葉に詰まりました。 私はこれを見て、どうしても故郷と言える東京のどん詰まりの路地を思い出してしまうのですね。色々あって、そこを追われて行った人たち、そこに住み着いている人も含めて遠くに去ってしまった景色が脳裏から離れられないのです。 おそらくここを離れて行った方も、そうなった時にどうするのであろうかと。単に忘れたで済むのでしょううか? 将来のために?仕方がない?まあいいか?--そう言う感情を押し込めて生きていくのでしょうか..。人は酷なものです。 長く重たい、実体験を含んだコメントをいただき、一生忘れません。 ありがとうございます!
2024年01月12日19時13分
ち太郎
私「仙石山と麻布台開発が続いて大変でしたね」 私よりご年配の地元の男性の方「終わっちゃったよ。早かった」 私「大橋茶寮の女将さんはご高齢ですがお元気でしょうか?」 地元の方「今日は休みだけど大丈夫みたい」 私「お店の入り口の修復にお金がかかるとのお話を聞きました」 地元の方「あっ、知っていらっしょるのですね」と、安心したような顔になりました。 東京の地元に根付いている人はいつどこでも同じようなリアクションが返ってきます。経験値ですが、この人がどれだけこの地を知っているか、理解を示しているか、どのような方向で考えているか--これが大切だと思います。そうしないと警戒心が解けません。一度解けると喜んで話しを続けてくれます。 麻布台3丁目でも八百屋さんを知っていたと言うだけで、あそこはビルになっているけどあったね、八百屋を知っていらっしゃるの?と。これが野良猫の歩き方だと思います。 そのような過去写真はこちら↓ 「踏ん張っている街(麻布台3丁目)」で検索してください。4点ほどポストしてあります。 私「ところで町会は大丈夫なようですね。下に看板がありましたから」 地元の方「みんなあそこのマンションに固まって住んでるよ」と、怪訝そうに指を差しました。 スムーズには進まず、揉め事でもあったのだろうと想像しました。 私「お出掛けですか?」 地元の方「坂下のバス停まで行って、そこから..」 私「えっ、大変ですね。これ(ガーデンヒルズA)が出来たから中を通って行けますね」とガーデンプラザAを指し「この坂道が好きなのでまた来ます」と言いました。 地元の方はそれには答えず、「バスの時間があるから行きます」と。 これでお別れになりました。
2024年01月12日09時18分