ち太郎
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末広町という名前は東京メトロ銀座線の駅名のみに存在するようです。 住所表記は東京都千代田区外神田であり、周辺に末広町はありません。 かつてそのように呼ばれていたという理由で名付けられただけです。 何とも曖昧なのですが、詳しくは下記をお読みください。 そこに向かうのに秋葉原駅南口で降りました。 駅の目の前にあったタンポポと郵便ポストです。 千代田区神田佐久間町1-25 FD24mm/F2.8 1/250秒 f4 Kodak ColorPlus200
拝読させていただきました。 なるほど幕末動乱期まで地名歴史が遡るのですね。 しかしお写真からはその姿形は見受けられません。 100歩譲って願わくばその町名歴史を示す看板か何かが立っていてほしい気持ちです。 歴史を顧みることは大事ですもんね。 その繋がりで今があるわけですから。。。 2023.06.02. Fri. 一人 明日へ 歩き出す Rainy day 二人 過ごした 昨日へは 戻れない 桜ネイルに 雨の粒… TeaLounge EG
2023年06月02日14時25分
歴史ある街ですが町名は無いのが不思議です。 東京メトロ銀座線の末広町駅辺りは外神田の地名ですね! 末広がり、正にそのままにして発展しましたが電気街の 片隅になってしまっていますね!
2023年06月02日19時15分
>TeaLounge EG様 こちらは秋葉原駅前です。少し寂しそうな雰囲気を感じましたので郵便ポストと雑草を撮りました。ここから徒歩で行き、現地で町名案内板を発見しましたので、そちらは後ほどのお楽しみにお願いしますね(笑)。 とにかく千代田区のHPにもあるように「伝わっています」とか「かもしれません」確定された話ではないですからね。有名な町名でもそんな感じなの?という気が抜けた印象を受けますた。 いつもご丁寧なコメントありがとうございます!
2023年06月02日21時43分
>たま407様 ありますね新宿の末広亭と末広通り商店会!昔はあそこら辺はひどく荒れた場所だったと思います。70年代、自分の通学路でしたから印象が深いです。 あとはロック喫茶のローリングストーン。不良の溜まり場でした(汗)。 いつも嬉しいコメントありがとうございます!
2023年06月02日21時47分
>Winter lover様 この地下鉄の開通が古いために名付けた時は「これが良いだろう」と皆さんが言っている通説のようなものを拝借したのでしょうね。面白いです。 末広町と言えば御徒町(上野広小路)と秋葉原のほぼ中間に位置しますが。私の概念ではやや秋葉原寄りという感じがするのです。御徒町ではないですね。例の神田青果市場が末広町寄りにありましたから、今でもそのようになっていると思います。 こちらにも丁寧なコメントありがとうございます!
2023年06月02日21時53分
ち太郎
*千代田区HPより かつてこの界隈は、末広町と呼ばれていました。 江戸時代、現在の外神田三丁目一帯は、武家の屋敷地と商人・職人の居住地とが隣り合っていました。 古い江戸の地図を見ると、町の南側にあたる場所には、神田平永町代地や柳原岩井町代地、麹町平河町一丁目代地、神田山本町代地といった町名が見受けられます。 いずれも商人や職人が住んだ町(町屋まちや)で、主に日用品が商(あきな)われていたと伝わっています。 反対に、町の北側は、越後・村松藩堀家の藩主が住む上屋敷をはじめ、十数軒の武家の屋敷が集まっていました。 ところが、徳川氏の支配が終わりを告げたまさにそのとき、この界隈は激しい戦火にさらされました。明治元年(1868年)、江戸無血開城を不服として上野寛永寺に立てこもった旧幕府軍と新政府軍とが戦った上野戦争がそれです。 この市街戦は、現在の外神田三丁目に集結した新政府軍からの攻撃によって始まりました。そして、わずか半日ほどで新政府軍の勝利に終わったのです。 末広町が誕生したのは、上野戦争の翌年、明治二年(1869年)のことです。 特に神田界隈では、戦闘に巻き込まれ家族や屋敷を失った町民も少なくありませんでした。 末広というおめでたい名前には、「これからは、末広がりで町が平和に繁栄しますように」という、町民の切実な祈りが込められていたのかもしれません。
2023年06月02日11時39分