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かつての登山道、伊藤新道

かつての登山道、伊藤新道

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    撮影昭和49年7月 135カラーネガより褪色復元を試みましたが、これで精一杯でした。 三俣蓮華の小屋主伊藤正一さんが開いた湯俣から三俣蓮華に至るこの伊藤新道、小黒部といわれた常念乗越から梓川側に下る一の俣谷道、阿曾原から仙人池に至る仙人谷道、剱沢北股の雪渓をつめて池の平に至る道、私は通っていませんが穴毛谷を経て杓子平に至る道、北鎌の両側、千丈沢、天上沢をへて槍に至る道など、 かつて谷沿いの変化に富んだルートはみな安全な尾根道などに取って代わられてしまいました。

    コメント17件

    usatako

    usatako

    貴重な写真ありがとうございます。写真を見て、この道の険しさはもとより、切り開く困難さを想像しました。 地図を開いてみましたが、「現状では通行困難」と書かれていました。きっと素晴らしい眺めの道だったのでしょうね。残念です。

    2012年08月17日23時44分

    C330

    C330

    usatakoさん キスリングに28kgの荷をつめて登ったのはいいのですが、 三俣の小屋の手前で疲れ果て、冷たい雨の中、眠ってしまい 危ない目にあったという苦い思い出のあるルートでした。 少し危険はあっても、変化に富んだこのようなルートが なくなってしまうのは、本当に残念です。 コメントありがとうございました。

    2012年08月18日09時21分

    C330

    C330

    こるぷらさん 以前、遭難してこのルートに迷い込んだ女性が、たまたま通りかかった 山岳ガイドに助けられた、という記事がありましたね。 このルート、友人3人と登ったのですが、自分だけが山の経験者だったので 他の3人の分まで荷を担いだところ、自分が一番先にバテてしまいました。 今では半分くらいの重さが精一杯ですね。 コメントありがとうございました。 追記 こるぷらさんの立山カルデラのお写真、お気に入りさせていただきましたが、 遠くの山、槍ではなく笠ヶ岳かと。 差し出がましいようですみません。

    2012年08月19日11時13分

    hatto

    hatto

    山岳家であり、山岳写真家でもある様に感じました。そこに山が有るから、撮るんだ。そう言う感じでしょうか。全て魅せて頂きました。自然のときめき一杯感じさせていただきました。私ももう少し若ければ、チャレンジしたでしょうね。

    2012年08月19日17時05分

    酔水亭

    酔水亭

    どうしても壁の方に体を寄せてしまいがち ...になりますね〜! ^^; 本当は 逆なのは、判って入るものの ..やはり コワい ですよね。 写真の持つ記録性が、こんなにも貴重に感じる事が 滅多に無い程の、素晴しい作品ですね!

    2012年08月19日19時15分

    C330

    C330

    hatto06さん 山岳家というには、山を浅く長くやってきただけですし、 山岳写真家というには、写真の深い知識は持ち合わせておりません。 多くの写真にお気に入りしていただいたこととあわせて、大変恐縮し、また感謝いたします。 hatto06さんは、室堂から上高地まで二泊で踏破されたそうで、大変驚いています。 私には、若い時であっても無理ですね。 今後ともよろしくお願いします。 コメントありがとうございました。

    2012年08月20日12時34分

    C330

    C330

    こるぷらさん 差し出がましいことを致しまして、ご気分を悪くされないかと 気が引けていました。 笠ヶ岳の笠新道は、私の感じでは、ぐんぐんと高度を稼ぐので 所要時間の割には、比較的ですが、楽だった様に記憶しています。 是非、気をつけてお出かけください。 コメントありがとうございました。

    2012年08月20日12時41分

    C330

    C330

    酔水亭さん おそらく桟道も今は落ちてしまっているでしょうから、 記録としての価値はあるかもしれません。 当然ながら、この写真を撮っているときは、記録の価値などということは毛頭 頭に無かったのですが、今となっては、というところでしょうか。 昨今の百名山ブームのせいか分かりませんが、比較的安全なコースに登山者が集中して、 ここのような変化に富んだコースが廃道化してしまうことは大変残念です. コメントありがとうございました。

    2012年08月20日16時53分

    impressions

    impressions

    このルートは魅力にあふれていますね。 わたしは24歳の時、単独行の親友が荼毘に付されて帰ってきましたから、 経験の浅い人にとっての山の怖さは身に沁みています。 でも、このようなルートを失うのは残念ですね。

    2014年01月20日16時52分

    Kyub

    Kyub

    こういう道をみると ワクワクしてしまいます(///▽///) 安全面も確保できたら また通れるようになるんでしょうか(´゚ω゚`) そうなってほしいです(・∀・)

    2014年02月07日18時16分

    yamasurume

    yamasurume

    お写真の3名は,C330さんのお仲間さんだったんですね。 高校生ぐらいの感じでしょうか。 それにしてもすごい道ですね。ここを開拓された方の苦労も忍ばれます。

    2014年02月08日20時49分

    YD3

    YD3

    絶句... これも凄い所ですね...^^

    2014年10月20日16時35分

    hinotorigusa

    hinotorigusa

    C330様、 hinotorigusaと申します。 突然のお願いで大変恐縮です。 貴兄のこの伊藤新道のお写真、迫力あり当時の脈動が伝わってくるようで大変素晴らしく、圧倒されております。 お願いと申しますのは、 往時の伊藤新道の紹介のために、小生のブログから貴兄のこのお写真にLINKを張らせていただけないか、ということです。(今、ご検討いただくため、一時的にLINKさせていただいております。) もし、不都合がございましたら直ちに削除いたします。よろしくお願いいたします。 ttp://hinotorigusa.blog.jp/archives/1058569391.html

    2016年07月30日07時47分

    C330

    C330

    hinotorigusaさん  こんにちは     お返事遅くなり済みません。貴兄のブログ、大学の友人三人とこの道を通った時の記憶がよみがえり懐かしく拝見させていただきました。さて、LINKの件ですが、私としてもこの写真を紹介していただくことは大変嬉しく思うところでありますので、ぜひそのままLINKをお続けくださるようお願い致します。 ただ、貴兄のブログ内の(昭和47年の)「翌年、一般道としての利用が禁止された。」という記述には少々疑問がございます。私たちが登った昭和49年当時、たしかにトラックで荷物を運んでもらったことなどはよく覚えておりますが、利用禁止という話や表示は全くありませんでしたし、私たち以外にも多くの登山者が登っておられました。三俣山荘のHP内→ ( ttp://kumonodaira.net/tokushu/itoshindou.html ) には「昭和58年を境に通行することが困難になりました。」という記述がございます。ですから少なくとも昭和49年当時は禁止されてはいなかったと思うのです。以上でございます。今後ともよろしくお願い致します。

    2016年08月01日09時32分

    hinotorigusa

    hinotorigusa

    C330さん、 早速のご快諾、大変ありがとうございます。 LINKを現行通り、継続させて頂きます。 さて、伊藤新道の通行制約時期の件ですが、ご指摘ありがとうございます。 本件、三俣山荘の関連HP「黒部源流の歴史」、ttps://kumonodaira.net/tokushu/history.html に、1973(昭和48)年「伊藤新道、度重なる崩壊によって、一般道としては通行止め」 という表記があり、それに従ったものでした。 尤も、C330さん始め、その後も登山者は利用していたわけですので、この表記年度自体に誤りがあるのか、あるいは、三俣山荘が、下山者に対し警告的な意味で、一般者通行止め、とお触れを出した程度のものなのか、よく分かりません。 そもそも考えてみますと、(一般)登山道通行禁止の意味自身が、強制云々という点で、かなりあいまいな表現のような気がします。廃道という意味も突き詰めて考えますと同様に。 いずれにしましても、ご指摘感謝申し上げます。上記の観点を踏まえて、小生のブログは何らかの書き換えが必要と思いますので、変更することといたします。 ありがとうございました。 hinotorigusa 拝

    2016年08月01日21時02分

    hinotorigusa

    hinotorigusa

    C330さん hinotorigusaです。 多少くどくてすみません。 伊藤新道、一般道通行禁止の年ですが、伊藤正一著「伊藤正一写真集-源流の記憶」(山と渓谷社:2015年)によれば、「伊藤正一個人史」欄に1983(昭和58)年と記載されており、どうもこちらが正しいのではないかと思います。(WEB版は恐らく誤記) C330さんには、ご指摘を受けたお蔭で解明ができ、大変感謝しております。ありがとうございました。

    2016年08月03日23時02分

    C330

    C330

    hinotorigusaさん  こんにちは 私のほうにも参考となる点、多々ございました。 わざわざのご報告有難うございました。 今後ともよろしくお願い致します。

    2016年08月04日12時55分

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