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スピリットは言う。 「私を見ようとする、ということは、ものの本質を見ようとすることだ」 「君たちは梅の花の写真を撮っていた。最初は花の形や色を。次には周りとの関係で面白いと思える配置を。つまり、梅の枝や幹、さらに背景となる草木や山などとのつながりで花を見た。またさらには、花とその周りの空間の関係に面白さを見つけた。私に段々と近づいて来たのだ」。「つまり君たちは、花の形を撮りながらも、私、つまりものの本質に近づいて来たのだ。そうとは知らずともな」 *下につづく
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*つづき 「それが、私を見ようとする、ということの意味だ。意図的であろうがなかろうが、そのような意識でものを見れば、私の存在を感じるようになる。つまり、私が見えたり聞こえたりするようになるのだ」 「すると、ぼくたちは、知らず知らずのうちに梅の花の本質を撮ろうとしていたということか。そんなつもりはなく、ただ美しく撮ろうと工夫していただけなのに」。佳夫が口をはさんだ。 「その工夫が本質を見る目だ」。「そして本質に少しでも触れると、私の存在を感じるようになる」 「ああ、君の姿がそれか」 「そう。君たちは私を感じたのだ」。「ただし、いま君たちが見ている私の姿は、君たちがそのように見ようとしているから、そう見えているだけであって、私に、つまりものの本質に姿はない。いま君たちが聞いている私の声も、君たちがそう聞いているだけのことで、私に声はない」。 「ことばを代えて説明しよう」 「君たちがものの本質の一部に、まあごくごく一部にだが、とにかく本質に触れて、それを自分なりに解釈した結果見えているのが私の姿であり、声なのだ」。 「じゃあ君は、ぼくたちが君に触れたので、それを知らせるために現れたのか?」 「いや、そうではない。私はなにも君たちの前に出たくて出て来たわけじゃない。君たちが自ら、私を見えるようになった、というだけのことだ」 「つまりそれは、ぼくたちにものの本質が見えるようになった、ということか?」。佳夫が聞いた。 「そうだ。ほんの少しだけだがな」。「でもそれは大きなことだ。あとはその目が深まって行けばいいだけだ」。「洞察の目だ」 *つづく
2020年03月16日21時05分