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觔斗雲で走り回っていて、庚申(こうしん)塚を見た。 庚申塚は、民間信仰が発展してその在所の人々の講、つまり互助組織となり、そのシンボルとして建てられ、同時にその地域のテリトリーを示す役割も担っていたようだ。安永2年とある。調べたら1773年。庚申とは干支の一つだ。横に二十三夜塔がある。これは月待ち信仰だ。この2つの石塔はコンビで建てられることが多かったそうだから同年代だろう。 きれいな石塔だ。この地域の人々の間に今でもその伝統があるのだろう。 私の母もよく地域の講に出かけていたので、よく理解できる。
おお、旅鈴さん、お早いお越しです。 このような昔のものがきれいに残っているというのは、もとより地域の集まりがあるはずです。保存会というよりも、現役の集まりなのでしょう。各家で代々受け継いで行くのでしょうね。 塚の前の草花は何か分かりませんでしたが、自然のお供えのような風情だったので画面に取り込みました。 カラスノエンドウと教えて頂いたので調べました。豆は食用になるし、その豆柄を笛にして遊ぶとのことですから、講の人たちが意図して植えたのかもしれませんね。
2019年04月23日22時35分
沖縄にも「もやい」といって濃い互助会を作る文化がありました。 当時自分も助けてもらったし、その結びつきはとても大切なことだと思いました。 近くにも庚申堂があるので今度覗いてみたくなりましたよ(*´∀`*)
2019年04月23日23時36分
庚申塚を見せて頂き、お母様が講に参加なさったとのお話から、 祖母のことを思い出しました。庚申さまの日は、多分2か月に一度だったと思いますが 各家が順番に当番になっていました。わが家でも何回か行われ大きな声で念仏を唱えながら お数珠を繰っていました。次々とお経が唱えられていて、最後の言葉が 「おんこうしん~~~そわか、しんがんじょうじゅ」でした。心願成就だったのですね。 その後の茶話会が楽しみのようでした。私ども孫たちは接待役でした。
2019年04月24日08時22分
michyさん 庚申塚をよくご存知です。 お祖母様の頃はまだ信仰として講が行われていたのですね。 「おん庚申〜薩婆訶」という言葉は密教の呪文ですね。庚申講は、様々な宗教が入り混じったもののようです。 大人たちが夜に集まってなにやら真面目にやっているのを見るのは、子供たちにとってもなんだか心踊るものがあったでしょうね。 私の母たちは、石塔の清掃やお供えを行い、その後は懇親会のようなことを行っていたようです。むしろ地域の交流の場だったのでしょう。それでもやはり信心という行為が中心にあったので、集まった人たちはみな真面目な感じだったことを憶えています。母たちは、庚申講よりもむしろ二十三夜祭をよくやっていました。三夜さんと呼んでいました。
2019年04月24日12時17分
ジョニー森永さん そうですね。ほぼ250年になる石塔です。 その間、地域の人たちがずっと関わって来たのでしょう。 石塔が今でもきれいなのはその証拠です。
2019年04月24日12時20分
annshii46さん 昔の地域の結びつきは堅かったのでしょうね。きっと助け合わなければ生きていけなかったのでしょう。 庚申堂があるのですか。何が祀られているのか興味あるところです。神道の影響が強ければ猿田彦、密教の影響が強ければ青面金剛と調べました。あるいは両者かもしれない。ぜひ覗いてみて下さい。
2019年04月24日12時32分
キンボウさん ヨーロッパの街角や道路などには、それこそ10世紀も20世紀も前の遺跡、遺物が見られるでしょう。ここ日本では、さすがに江戸時代のものを街や道路で見ることはほとんどなくなりました。 でもこのような道祖神的なものには、時々古いものがあります。この石塚はなにげなくあるので気にも留めないでいたのですが、建立年号を見て、おお、なるほどと思ったのです。
2019年04月24日21時47分
庚申塚はよく見かけるんだすでも二十三夜塔は初めてみたっす! きれいなままで今までえぐ残ってるっすなぁ たいしたもんだすわ 庚申請というものがあったんだすね それも知らねがったわぁ その土地の習わしを維持していくのは大変だすわ
2019年04月25日21時32分
ぢ〜さん そうですか。私のところではむしろ二十三夜塔の方が主役です。 母はよく、三夜さんと言っていました。十三夜、二十三夜、共通のいい方だったのでしょうね。 もう、母の講はありません。
2019年04月27日18時51分
旅鈴
あじわいのある石塚ですね。 ちゃんと年号も読めるとは素晴らしい。 よくぞ見つけられました。 誰もが見過ごしそうな、でも歴史の在る物を探し出して、 保存会をお作りになっては。 というか、もうありますか。 さりげなくカラスノエンドウ、ピンクが綺麗です。
2019年04月23日22時22分