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企迷羅鼠(kimera)
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インドネシアのスマトラ島トバ湖中のサモシール島内トゥクトゥクから分岐点へ少し歩いた場所の衰弱して青息吐息の仔猫、死神の鎌が光る。2018/07/06 A debilitated kitten near Tuktuk on Samosir Island in Lake Toba,Sumatra,Indonesia. ☆病む猫の目を閉じがちの日陰かな ☆片陰に骨露わなり目脂猫 ☆死神の鎌や日陰の目脂猫
裕 369さん、早速のコメントありがとうございます。 目脂が溜まるようになると重篤なようですね。栄養失調のようにやせ細って、立ち上がってもふらふらしていました。こうなると野良は可哀想です。家猫の3分の1の寿命だそうです。
2018年09月15日14時18分
こういうお写真を見るにつけ忍びないですが、どこの国にもこのような現実はあるわけで、オープンなのはむしろ健康的な社会なのではないでしょうか。 見たくないものを隠したり闇に葬ったりいじめたり、閉じこもらざるを得ない社会は包容力がありません。 海外でこのような現実に出会うと、価値観の物差しが変わるのではないですか。
2018年09月15日19時50分
チバトムさん、コメントありがとうございます。 実はもう一匹同じ位の黒い仔猫がいて、同じように痩せてふらふらでした。母猫は何らかの事情で死んでしまったのか、近くにいないようでした。 母親がいなければ動物の仔は自力では生きられません。厳しい現実ですね。
2018年09月15日22時42分
想空さん、コメントありがとうございます。 日本ではなかなかこういう現場を見る機会がありませんが、海外ではたまに病気や負傷した野良を見ます。心が痛んで、いろいろ考えさせられます。 愛らしい姿だけが犬や猫の全部ではありません。
2018年09月15日22時52分
小学校の頃田舎に住んでいましたが、通学路の近くの休耕田に大型犬が死んでいました。誰も片づける人がいず、腐敗して骸骨になっていく様子を、その道を通るたびずっと見ていました。ちょうど春から秋の間だったと思います。(考えてみるに、山の近くだったのに野生の動物が引っかきまわさなかったのも不思議です。) 山の縁の野原に行くと動物の死骸は見ましたが、公道のごく近くでよく子供達が通るところで、犬の死骸がなぜ片づけられなかったのか、今でも不思議です。でも死後の姿はある程度刷り込まれました。 こんな子猫なんか、骨もすぐ消えてしまいますね。 多分小学校同級生の1/4くらいの人数は通っているところだし、他の通学路の子もこちらへ遊びに来た子供は見ているはずですが、同窓会とかまた個人で出会って話した時でも、その話は出てこないし私からも話したことがありません。 あれを見て良かったのかどうか、どういった影響を受けたのか 他の人はどうだったのか 時々考えることがあります。そしてすべての人に、見る機会を与えていいかどうかも考えます。
2018年09月16日01時56分
野良自体をなくす必要がありますね。 殺すのじゃなく、生まれてこないように予防すること。 きっと難しいと思いますが、それをしないと 野良は増えるし、野良の人生(猫生、犬生)も 可哀想なものになります。
2018年09月16日05時01分
頑張れ!てんちゃんさん、コメントありがとうございます。 昔は、今のように市役所や役場に処理してくれと要求することもなく、田の所有者も休耕田なので放置して置いたのでしょう。肥料としていた下肥の臭いを、田舎の香水などと言っていた時代ですから、臭いなどたいして問題にもならなかったでしょう。だれも関心を示さない、誰も行動を起こすまでのことはないと思った、おおらかな時代だったのです。 しかし、カラスが喰い荒らさなかったのは不思議ですね。 今だったら動物の死骸に嫌悪感を露わにする人がいますが、つい半世紀ほど前は、農村部ではたいてい家畜を飼っていましたから、動物の死は非日常的なことではありませんでした。鶏なども自分の家で潰して食べました。 肉食が一般的になった日本で、牛や豚や羊や鶏の姿が分からないように小分けしてうられていますが、海外に行けはば羊や豚の頭などがそのまま売られています。そういうことに嫌悪まで感じるという日本人は、極めて特殊な環境におかれていると言えるかもしれません。
2018年09月16日10時36分
旅鈴さん、コメントありがとうございます。 猫や犬は、もともと野性だったものを、人間の都合で家畜化した動物です。 今の日本では、家畜としての存在意義が薄れ、愛玩動物になりました。 この事実をよく考えなくてはなりません。 世の中には、無責任で自分勝手な人間がいますが、犬や猫のようにこれらの連中を間引く訳には行きません。さりとて、法令で猫まで登録して管理するというのも窮屈な世の中です。(猫が中型犬位の大きさだったら事情は全く別でしょう)とかくこの世は住みにくい。 ☆世を恐れ人を恐れて冬籠
2018年09月16日10時58分
家畜としての存在意義が薄れ、愛玩動物になったというご意見、確かに。 昔、猫は鼠を捕る為に飼われていました。(失礼、笑) 村のおばさんが、うちには鼠がおって(いて)しようが無い、 猫をくれんか、と言って、ウチの猫を一匹持っていきました。 翌日、きうりを三本持ってきました。 キジ猫の きうりに変化(へんげ)鄙の怪
2018年09月16日17時11分
旅鈴さん、再コメントありがとうございます。 都会では、犬も番犬としての役割はほぼ終りましたね。 昔はそんな感じで犬や猫をもらったり上げたりしていました。 ☆差し上げし仔猫の礼も胡瓜かな
2018年09月16日22時45分
確かにカラス、その他の小動物が荒らさなかったのが不思議ですね。 都会なんか、死んだ鳩がいると一斉にカラスが集まってくるのに。 でも確かに、日本は死の姿を出来るだけ見せようとしないということで、不思議ですね。
2018年09月18日02時10分
頑張れ!てんちゃんさん、再コメントありがとうございます。 日本人は赤裸々なことを嫌うということでしょうが、惨たらしい戦乱の世も経験しました。これは太古からの特性ではないように思います。 記憶に間違いがなければ、長璋吉『私の朝鮮語小辞典』のなかに、日本語の言葉の綺麗さと韓国語の言葉の汚さが論じられていました。日本語には罵詈雑言が究めて少なく、韓国語にはそうした言葉が2000語もあるというのです。醜いものを隠すということと、汚い言葉が少ないということは根底で繋がっているような気がします。 昔の朝鮮人に言わせると、日本人が喧嘩をすると言い争う前にげんこつが飛んでくる。喧嘩の言葉が少ないと暴力で決着をつけることになります。
2018年09月18日19時32分
裕 369
可なり弱って可哀想な姿ですね。
2018年09月15日14時05分