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いつもの公園に、聞き慣れない言葉が飛び交っている。 若者たちのサッカーだが、どうも東南アジアからの出稼ぎ青年たちのようだ。 会社から貸与されたのか、同じ形の自転車が木陰で待機している。 こんなに大勢の外国人労働者を雇っている会社がうちの町にあったっけ? サッカーの中に日本人がいる様子はない。 彼らには彼らのコミュニティがあるのだな。 こうしてニューヨークにも、パリにも、そして東京にも〇〇タウンができて行ったのか。 地元民と彼らとのメルト(溶け合う)シーンが生まれるといいな。 *下につづく
ワケーもんの集まりは活気があっていいっすね(^.^)b 日本人いなかったかぁ んだすねぇ隣の誰かが誰かわからないのは寂しいし不安だし オラほの田舎でも昔はどこそこの誰がどこそこに住んでいると 近所はすべて把握してたけど最近わがんねっすもんなぁ こんな田舎でも!って言い合ってるんだもんなぁ 挨拶どまりだすもんなぁ
2018年08月30日13時53分
日本の若者が少なくなり人手不足なのでしょうね。 かつて集団就職などで多くの若者が東京に 集まった日本の成長期が懐かしいです。 わが街のオフィス街はインドの若者が多いです。 コンピューター関係の仕事に就いているようです。 でもこれほど外国の人が集まるのは見たことがありません。 時代の流れで彼らの手助けが必要なのかと思いました。
2018年08月30日15時26分
ぢ〜さん、michyさん、ジョニー森永さん やはり言葉の問題でしょうね、同国の人と群れるのは。 むかし、70年代ですが、サンフランシスコに住んでいた時、コミュニティカレッジで英語を勉強しました。何と無料でした。移民が英語を話せないと問題が起きやすいからです。私は旅行者でしたが、そこはそれ、親切な担当者がいたのです。当時のアメリカには懐の広さがありました。
2018年08月31日13時39分
ここにも、トルコの人が多いですが、 やはり自分の国の文化を維持していますね。 若い人は、異文化にも溶け込んでいるようですが、 それが大人には気にいらなくて、殺人事件がありました。 妹があまりにもドイツの生活に馴染んでいるので、 自国の文化をないがしろにしている、と怒って 兄が殺してしまったのです。 家族の尊厳を犯したからということで、Ehrenmordと 呼ばれています
2018年08月31日20時20分
旅鈴さん おっしゃる通り、言葉だけでなく、アイデンティティの問題があります。 自分はいったい何ものなのだ? 外国にあっては、自国の文化にそれを求めるのが一般的です。 いきおい、コミュニティ(ゲットー)を作ってそれを守ろうとする気持はよく分かります。 ですが同時に、現実に住んでいる国や、そこの人々との交流(コミュニケ―ション)が大事ですね。 地域の人々も、それをサポートしてやれるような広い心を持てるといいのですが。 この兄妹のお話は、なんともやりきれない悲しい話ですね。 Ehrenmordを辞書で調べたら、名誉殺人と訳されました。何たる言葉だ!しかもこんな事例に! いまの言葉で言うなら、アイデンティティを持ちつつダイヴァースィティ(多様性)を認めるジェネラスィティ(寛容性)を持ちたいものです。他と共に生きる自分。 どうしたらそれが育つか。教育ですね。家で、学校で、社会で。
2018年08月31日21時42分
yoshi.s
*つづき 知ってた?「ニュ―ヨークは民族のメルティング・ポットじゃない。ゲットー(特定集団の居住地)の集まりだ」って。 よく見れば、世界中の都市がそうだな。ゲットーは悪くはないが、となりに誰が住んでいるのかも知らないってのはちょっと寂しいな。大きな方が手を差し伸べないとね。
2018年08月30日12時41分