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穏やかに過ぐるいのちや風薫る
いつもこのような心温まる光景を撮って残したいと思いながら 人物を撮ることの難しさを痛感しています。 年配の方々の楽しげなお元気な様子を見せて頂いて 自分の励みにさせて頂いています。
2018年06月18日19時17分
仁志さん まあ本格的に競技をすれば、真剣勝負の様相も呈してくるのでしょうが、この人たちは、声を掛けあったり、笑いあったり、とても楽しそうです。女性もいるからでしょうね。この画には入っていませんが、女性はもっといます。スポーツの本来の意味、楽しむ、ことを実践しているようです。
2018年06月18日20時41分
asasさん いざこざの元は、おそらく何人かの方がルールを承知していないことなのではないでしょうか。 知っている人が新しい人によく教えてやる習慣が必要でしょうね。 ルール以外でのいざこざは、人間関係によるものでしょう。その場合は、なにをやっても同じだと思います。大切なことは、競技ではなく、仲間作りなのだという認識ですね。 あえて申し上げれば、仲間作りの基本は、相手を思いやる心だと思います。
2018年06月19日19時40分
自転車・・・象徴的ですね。 この自転車は、yoshi.sさん自身では? ゲートボールがそのルール故に 争いを引き起こすと言われたのも 事実、しかしここでは、そういう 低レベル争いはないようですね。 しかし気になるのは、レスリング 協会や某大学アメフト部・・・ 勝利至上主義の弊害でしょうね。
2018年06月20日12時36分
ninjinさん この自転車・・、そうかもしれません。 だとすれば、いろいろな意味づけができそうです。 スポーツには3つの価値があると思います。 まず一つは、楽しみを得ること。 二つ目は、友を得ること。 三つ目は、同好の士と競うことによって自らを磨くこと。 それがいつの間にか、勝つことそのものが目的になり、勝つためには手段を選ばずという、精神の暗黒に陥ることがあります。そうなると、スポーツの価値の3つとも失うことになります。その結果、強いけれども、とてもいやな人間になってしまうことがあります。 ご指摘のスポーツ界の問題は、そのような人がリーダーになっているところにあると思います。 強いからリーダーになるのではなく、人格者だからリーダになってもらう、という考え方にならない限り、スポーツ界から良い人格は生まれないでしょう。 柔道創始者の嘉納治五郎先生は、柔道を人格陶冶の道と規定しました。 合気道の植芝盛平先生は、大自然の気と和合する道、 わが宗道臣先生も、人間完成の道と定義したのです。 他のスポーツや武道にしても同様であってほしいですね。
2018年06月20日13時57分
今ここに集う方々にもそれぞれ背負ってきた人生があって、 でも皆で集まったときには笑いあって、共に楽しいときを過ごす、 と、そうでありたいですね。 スポーツをしながらなら、愚痴の言い合いにはならないでしょうから。 とかく、暇をもてあました方々が集うと、体の不調、家族への不満などが愚痴られますが、 青空の下、笑いながらのゲームは長生きの素ですよ。 私は一時期地元の卓球クラブに入っていましたが、最初は楽しかったですよ。 多くの人と知り合いになれて、練習後はクナイペで、おしゃべりをしたり、誕生日には プレゼントを交換したり。そのうち、試合のシーズン(小地区)で、 毎週末、誰かが参加せねばならず、結果が思うようにでないと、 だんだん空気が怪しくなりました。 申請している人数は多いのに、実際試合に行くのはいつも同じメンバー、 ある人は週末は家族の日、と言って、全然参加せず、練習にだけ来ていました。 私はその後、勤務先ができたので、時間的に無理で辞めました。 そのころ仲の良かった人とは、今も交流があるので、 いい体験だったと思っています。
2018年06月21日02時05分
旅鈴さん スポーツに限らず、互いに相手を気遣えば、そうそう争いが起こるものではありません。 アマチュアスポーツは文字どおり試合、つまり腕試し合い、にしたいですね。勝ち負けは二の次に。 これが仕合となると、どうしてもどちらが勝つかということに重きが置かれ、殺伐として来ます。それもひとつの道でしょうから否定はしません。自分たちはどちらの道を行くのか、はっきりと線引きをしてクラブ運営をすることですね。リーダーの資質が問われます。
2018年06月21日14時09分
写楽旅人
ホッとする穏やかな光景です! このようにいつまでも穏やかに過ごしたいものですね。
2018年06月18日17時47分