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(マリー1:プロローグ) サンフランシスコのレヴンワース・ストリートによく似ている。 マリーと一緒に住んだあのアパートの通り。 自転車に相乗りして走り下りたあのレヴンワース。 道沿いのメープルの街路樹。 アパートの階段前の小さな花壇。 多くの薄れゆく記憶の中で今も鮮明に思い出すあのレヴンワース・ストリート。 マリーと別れたあの朝のレヴンワース・ストリート。
ninjinさん これは掌編小説/エッセイ。 事実半分、作り事半分と思って下さい。 自と他を分けてしまうと、生きることは悪魔の所行と言ってもいいでしょう。他のいのちを食うのですから。でも、大きないのちの中でいのちを分け合っていると考えれば、お互いにありがとう、で済みます。他のいのちを我がものにするのではなく、自他がいのちを共有しているのです。そう考えたとき、その自然のありように自ずから感謝の念が湧いてきます。
2017年10月28日23時43分
ninjin
素敵な思い出ですね。 外国の友人を創ったことはありますが 言葉の壁はいかんともしがたく、手紙を 書くことをさぼっているうちに縁遠く なってしまいました。 マリーさんは今どこで何をされている のでしょうね。 「生きる、ということは、食うことです。 他のいのちを食うこの動物たちに、私自身を重ねています」 コメントありがとうございます。 若いころ自分が食べているものは全て他の生き物の死骸で あることに気づきました。 スーパーの食品売り場は壮大な死体置き場のようなものだと 考えるようになりました。 生き物の体を作るのは生き物でなければならないのですよね。 他の生き物の生命を頂くのだから、感謝を忘れてはいけないですね。
2017年10月17日11時56分