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(18) 「そのいのちの大本ってのは一体何だ?」我慢できなくなって真一が聞いた。 「僕は、いのちの大本が何かということはあまり考えなかった」。「でも、いのちを自分のためだけには使わないと考えていたら、ひとりでに答えは出ていた」 「おお・・」 「簡単だよ。まず、自分のいのちを他のいのちのためにも使うということだ。」 「そうすると、ボランティアとか寄付とかいうことか」 *下につづく
全体のいのちということになってくると、どうやら人間だけでなく、桜や動物たち生きとしい生けるものといった話になってくるのでしょうか。 吉夫君の決意とは?
2017年05月03日22時38分
michyさん ここは少し我慢をして下さい。 要するに、自他の区別は人間が勝手にしているだけで、本来は、君も僕も大きないのちの一部だ、と言いたいのです。 死は人間として終結するだけで、じつは元の大きないのちに戻ることなのだという考え方です。そう考えることによって吉夫は救われたのです。 宗教的と言えば宗教的ですが、もの見方や考え方によって、苦しみを克服できると言いたいのです。 michyさん、どうか引き続きお読み下さいますよう。
2017年05月03日22時56分
annshii46さんも真剣にお読み下さり、ありがとうございます。 大きないのちは、まさしく生きとし生けるものということですね。 吉夫はそう考えることで、暗闇の中に明かりを見出すことができたのです。 吉夫の決意は、ぜひつづきをお読みください。
2017年05月03日23時05分
ここまで来ましたか。 掌編クラブのみなさんが20日間かけて歩いた道を、今はなてふさんが辿っているのですね。 こうしてコメントを頂いていると、私も3年前に戻った気がしますよ。 ずっと歩いて下さってありがとうございます。
2020年04月26日00時33分
yoshi.s
*つづき 「まあ、それも一つだが、自分のために何かをやり人のためにもやるというのは、なかなか大変だ。実際自分のことで精一杯だもの」 「そうだ。人のためにしたくたって、現実にはときどき赤十字やユニセフに寄付することぐらいだ」 「そうだな。でもそれは、自分が他の人のために何かをしてやる、と考えるからそうなる」 「それ以外に考えようがあるのか?」 「自分と他人じゃなくて、いのちといのち、と考えるんだ。いのちというのは形がない。そこで仮に、大きな流動体のようなものを想定する。すると、自分のいのちは自分だけのものじゃないということが分かる。つまり自分のいのちは、本来は、全体のいのちに溶け込んでいるものなんだ」 「そう考えられれば、自分のためとか他人のためとか、そういう区別はなくなる」。「自分という概念を離れれれば、全体のいのちになる」 「そう考えたとき僕は、両親が早く亡くなり、爺ちゃんも亡くなったことが、さほど悲しいことではない、と思えるようになった。それぞれのいのちを終えて、全体のいのちに戻っただけだ。人間として預かっていたいのちを、全体に返したんだ」 「まあそうは言っても、人間としての両親や、じいちゃんに会えないのは寂しいけれどね」 「なるほどな。頭では分かった。でも現実の人間としては、実際にはどうしたらいいんだ? *次の桜につづく
2017年05月03日21時17分