yoshi.s
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冬の茶席は、椿一色である。 簡素な座敷に一本の椿。いやが上にも目はそこに行く。 しかし侘び寂びを重んじる茶の湯には、いささか似つかわしくない気もする。 豊臣秀吉が好んだからという説もあるが、だからと言って硬骨の士、利休がそれに迎合したとは思えない。 むしろ冬寂びの野に、一点の寒椿が咲いていたとしたらどうだろう。 枯淡の中に息づく鮮やかな生命の色。いのちの力。 茶の湯は侘びを旨とするが、それはその中にいのちの輝きを観るためではないか。 それこそが、利休の求めたものではなかっただろうか。 *下欄に続く
冬の茶席の主役『椿』についての考察 興味深く拝読いたしました。 貴兄よりもっと門外漢の小生が最初に コメントを残すのは憚られるのですが お許しください。 野や庭にあっての椿は大輪の花の美しさ もさることながらその脇に固い蕾や半開 の花が寄り添っている姿にこそ風情がある と感じます。 そうこの作品のように・・・ 椿のうち早いものは夏の盛りにもう花芽を付け 数ヶ月かけて開花すると聴きました。 瞬時の盛りの美しさではなく時の流れを感じさ せる姿にこそ椿の醍醐味があるようです。 おっしゃるように生命のちからを感じ取る 象徴としての花に椿は相応しいのかもしれ ませんね。 小生はこのサイトで写真と関係の無いコメント を書き込んだことで二度ほどクレームを頂きま した。 一枚の写真を発表した以上そこから感じるものは 百人百様なのですから投稿者の意に添わぬコメント も貴重だと思うのですが・・・・
2017年03月22日18時17分
ninjinさん 相通づる友をもつ喜びは、何ものにも代え難い。 本当にうれしいです。 私はクレームを頂いたことはありませんが、そうですか、ninjinさんはあったのですか。 写真発表サイトだから夾雑物を入れて欲しくない、という考えは理解できます。 でも誰の言葉かは忘れましたが、「伝統は尊重すべきである。しかしそこにのみ留まったのでは人類の進歩はない」という教えに私は賛同します。 もとより、写真そのものを深めたいと思っています。同時に、もっと様々な可能性を追求したいとも思うのです。俳句も短歌もエッセイも、すべて門外漢でした。しかし写真を梃子としておそるおそるその門をくぐってみると、精神が広がる喜びを得たのです。そして先日、ninjinさんの写真+掌編小説に刺激を受け、新たな分野、写真掌編を模索しはじめたのです。 それもこれもこのPHOTOHITOあってのことです。ここは面白い実験場だと思っています。 ただ、不快に思われる方もいるかもしれないとの思いで、前掲、ご寛恕のお願いになったのです。 コメントは基本的に励ましであって欲しいですね。自分の主張は自分のページで行えばよいのですから。 いずれにしてもninjinさん、自ら信ずる道を行くことは大事ですよね。一度きりの人生ですから。それももう、あまり多くは残されていません。無常迅速、生死事大です。
2017年03月22日19時39分
写楽旅人さん おっしゃる通りです。 曇り空の下で、陰陽の弱い画。 インパクトはありませんが、光が全体に回って優しい感じが出ますね。 この花などには、ちょうど良い光だったと思います。 もっとも光が強ければ強いなりに、それを活用して表現しようとも思うのですから、その時その時に素直に対象に向かえばどうとでもなりますよね。いや、上手下手は別としてですよ。
2017年03月22日19時40分
ninjinさん、写楽旅人さん *つづきの文に少し手を入れましたので、先頭にあった拙コメントが下に下りてきてしまいました。お二人のコメントと拙文との関係が逆転してしまったことをお詫びします。どうぞ、*つづきの文が先頭にあったものとしてお詠み下さい。
2017年03月23日00時47分
すべての事に詳しいyoshi.sさまとninjinさまに また茶道の事を教えて頂きました。 この椿にとても心惹かれました。 す~っと静かに手を伸ばしているようで 控えめな美しさに感動しています。
2017年03月23日10時45分
michyさん すべての事に詳しいなんて、とんでもない。 ninjinさんはともかく、私はすべて当て推量です。 史実や資料に基づくものではありません。想像を巡らせるのが好きなのです。 だからすべて論ではなく、エッセイなのです。 しかしこの推量をもって、専門家に尋ねてみたい気持ちはあります。 椿の画をお褒め下さりありがとうございます。 文章を加えるからと言って、写真をおざなりにするつもりは毛頭ありません。 むしろ写真がメインで、そこから想像を膨らませているだけのことです。 控えめな美しさ、と言って頂き私こそ嬉しく思っています。
2017年03月23日23時37分
annshi46さん この理屈じみたエッセイもお楽しみ下さいましたか。 それならぜひ他の掌編シリーズもお読み下さい。 写真掌編のタグを手繰ってみて下さい。
2017年03月24日00時55分
yoshi.s
*つづき 詫びも寂びも、寂滅も無心も、すべてはこのいのちの力を見出すための道具立てに過ぎない、とすら思える。 一服の茶は、こころの暗闇に一点の明かりを灯す玉の露である。 床の間に置かれた一本の椿は、心の奥に見出された生命の力の顕われである。 *門外漢である私が茶について述べるのは、不遜の謗りを免れない。どうか単なる個人的エッセイとしてお聞き流し願いたい。茶道、華道の道を歩まれる方には呉々もご寛恕頂きたい。 写友の皆さんの中にも、写真発表の場としてのPHOTOHITO上に、このような文を載せることを不快に思われる方がいるかもしれません。私としては写真表現の新たな道を模索中なのです。これも大方のご寛恕を願いたい。
2017年03月23日00時41分