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天心美術館の中間ロビーから。 Pentax-M 28mm
そうそう書き忘れましたがこの随筆の中に 「極端にいえば、彼女たちには殆ど肉体が なかったのだといってよい。私は母の顔と 手の外、足だけはぼんやりと覚えているが、 胴体については記憶がない」というくだりが あるそうですが、薄暗い家屋の中では着物から 露出した肌だけが見えて、胴体は闇に溶けてい たのでしょうね。 いわゆるグラマーな肉体美は西洋の美の価値観 なのですね。 大いに脱線して駄文を連ねてしまいました、お許 しを・・・
2016年07月29日12時37分
ninjinさん わざわざお調べなったのですね。おっしゃる通りです。 写真においても、すべてはっきり見えてしまう画は、題材にもよりますが、まああまり面白みを感じませんね。 陰があって陽が引き立ちます。 谷崎の陰翳礼讃の趣旨もそこにあると思います。 女性の肌の話も、おっしゃる通りで、その時代には意図してそうしていたというのが谷崎の主張です。顔や手足の素肌の美を浮かび上がらせるためにお歯黒や青い紅をしていた。それは薄暗い部屋にいてこそその効果があったというのです。 私が陰翳礼讃を初めて読んだのは、たしか高校の教科書でだったように思います。全文の抜粋でしたが、それは日本家屋の部屋について述べた箇所で、たいへん印象深く感じました。というのも、じつは私の家がそのような家だったのです。嫌いだった薄暗い部屋に新しい意味を見い出しました。これは私にとって大きな発見でした。 学校の図書館で全文を読みましたが、それ以上の記憶はありません。しかし大人になり、齢を取ってくるほどにその味わいが分かるようになってきました。その後も何度か読みましたが、内容よりもむしろこのタイトル、『陰翳礼讃』という言葉だけですべてが分かってしまうような気がします。 掲載の写真でははるかに役不足ですが、日本美術館という場所を形容する意味で同題にしたという次第です。 こんな話は大好きなので、私もつい長口舌を・・。失礼しました。
2016年07月30日02時41分
ninjin
《陰翳礼讃》という言葉は記憶の片隅にあったのですが誰の言葉だったのか 思い出せませんでしたので検索致しました。 昭和8年の谷崎潤一郎の長編随筆の題目であったのですね。 読んでもいないので内容はわかりませんが、明るさを追い求める近代に 対して日本建築などの仄暗い空間にあってこそ物も人も美しいのだと 言っているようですね。 昔の権力者が金箔張りの部屋や金屏風を好んだというのも現代人から 見ると成金趣味のようですが、灯明しか無い時代に夕日が幽かに差し込む 部屋の奥でぼうっと浮かび上がる金箔は現代人が知らない美だったのかも しれませんね。 さすがに美術の世界にお詳しい方の写真作品ですね。
2016年07月29日12時18分