TR3 PG@ ファン登録
J
B
通称、ボン大学の校舎です。 先日upしたポッペルスドルファー宮殿から真っ直ぐ約2km先、由緒ありそうな建物がライン川に向かって伸びています。 元々はドイツの七選帝侯の第3位にあったケルン大司教の居城だそうで、1818年に当時のプロイセン王国が大学としたものです。 正式な名称が「ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン」。 誰でも知っている、カール・マルクス、ハインリッヒ・ハイネ、フリードリッヒ・ニーチェ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン等々、著名な人物を輩出し、ノーベル賞受賞者も3名いるそうです。
本当ですね。貫通してますね~ ヨーロッパの古い大学は、一つの街を自治していましたから(「大学の自治」ってやつ。日本では違う意味に勘違いされている)、その名残でしょうか?
2014年08月24日21時40分
yosshy99837さん、コメントありがとうございます。 そう、仰るようにヨーロッパの自治って我々日本人の感覚とは一つも二つも進んだ考え方だと思います。 現代のボンも大学を中心とした新たな枠組みをボンだけではなくドイツ全土に、ヨーロッパ、いや全世界に発進しています。 この貫通する道路・・・も、その時代の一つの姿を現しているのかもしれませんね(^.^)
2014年09月01日17時05分
TR3 PG@
面白いことに、ご覧のように一般道が大学建物を貫通しているんです(^_^; 撮影地の地図を見て頂くと分かるように、離宮であるポッペルスドルファー宮殿からボン大学の校舎まで、約2kmに渡ってケルン大司教の居城の敷地が続いており、現在はその敷地を横切るように線路や道路が幾筋も通っているのです。 ケルン大司教、如何に強大な権力を持っていたか、想像を超えます・・・。 しかも、ボンの街は紀元前にローマ帝国によって開かれたという2000年以上にも及ぶ歴史があり、ライン川中央部に位置している重要な地だったのですね。 今は、かつての首都の地位をベルリンに渡し、都市の規模でも隣のケルンの1/3ですが、逆にこぢんまりとした静かな大学の街の様相がいい感じです。
2014年08月24日16時39分