たま407
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古いアルバムから。 おそらく新橋か有楽町の地下鉄の階段の落書きだと思います。 当時マッチこと近藤真彦は絶頂期で、『ハイティーン・ブギ』などヒット曲を連発。アンチも多かったようです(笑) 82年は横井英樹のホテルニュージャパン火災、日航機“逆噴射”羽田沖墜落事故、三越・岡田社長「なぜだ!」解任、ソニー世界初のCDプレーヤー発売、『笑っていいとも!』放送開始、映画『ET』、サザンオールスターズ『チャコの海岸物語』、中村雅俊『恋人も濡れる街角』、薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』などがありました。
プーチンパパさん コメントありがとうございます(=^・^=) 買ったとたんに転勤は辛いですね。 しかし買った時の3倍弱は凄い。 そんな時代がかつて本当にあったんですね~。
2014年07月06日18時45分
学生時代です。ベストヒットUSAやポッパーズMTV等洋楽ばかり聞いていました。 でも『恋人も濡れる街角』は好きでした。この当時、横浜の事はあまり知らなかった のですが、良い印象の決定打がこの曲。海岸通りという名前が出てきて、思いを馳せ たものです。
2014年07月06日21時14分
HIDE862さん コメントありがとうございます(=^・^=) 私は社会人6年目くらいで、横浜に移り住んで7年目くらいだったでしょうか。 この頃は暇な上司にレートの高い麻雀に引っ張り込まれ、ひどい目に遭っていました。 酒が飲めるようになったのは30代半ばになってからですし、カメラ三昧の日々だったかもしれません。 私も後年のカラオケブームになってから、『恋人も濡れる街角』は最もよく歌うお気に入りの持ち歌になりました。 作詞作曲がサザンの桑田佳祐。奥さんの原坊の実家の天ぷら屋がJR関内駅前にあった関係で、桑田に馴染のある馬車道通りなど横浜港界隈が歌われていたのがお気に入りでした。 私も馬車道通りのロシアンパブに足しげく通っていた時期がありました(笑)
2014年07月06日21時42分
プーチンパパ
82年ですか、この年も個人的には大きなことがありました。 家が手狭になって、大きめの家に買い換えたこと。ところが 転勤で栃木県に、単身赴任のスタートでした。 前の住宅は7年間住んで、買った時の3倍弱の値段で売れました。 家は財産になるといわれた時代でしたね。 家を建てると転勤、とはよく言われていた言葉です。
2014年07月06日18時14分