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我が家の菩提寺、五箇山利賀村坂上の西勝寺です。 約30年前、母が亡くなった時、初めて我が家系の菩提寺がこんな山奥(失礼ですが)のお寺だと知りました。 地理的にも全くかけ離れた所ですが、たぶん我がご先祖様は五箇山出身なんでしょう。 そう言えば、明治生まれの祖母が二泊三日で塩や干物を担いで峠を越え五箇山に行っていたと聞いたことがありました。 境内に立っている古い石碑にも我が家縁の名前が刻まれているようです・・・。 久しぶりにお参りしてきました。
これは鐘楼でしょうか。由緒あるお寺さんのたたずまい。 矢張り雪国で、吹きっさらしの建物で、いわんや萱ぶき。 維持して行くのは大変でしょうね。 緑をバランスよく入れられ、明暗、陰影のある 素敵な情景描写、有難うございます。 キャプションもじっくり拝見いたしました。
2013年06月17日21時52分
この山門は雪国であるだけにどしっと構え茅葺屋根、 しかも、奥の建物にも彫刻があり由緒と品位を感じる 素晴らしいお寺のようですね! 昔の風情が表現された素敵な作品です。
2013年06月17日22時10分
雪深いために一層余分に床上げされたかのようですね。山門も兼ねているところが、珍しい様に思います。そんな雪国ならではの鐘楼でしょうか。茅葺きの見事な佇まい。歴史と信心深い人々の存在を感じます。TR3 PG@さんのルーツがここに有るんですね。素晴らしい建物とその描写です。
2013年06月19日04時37分
これは趣ある山門ですねぇー。 しかも真宗大谷派とは、何か身近な感じもしてしまいます。 うちも真宗大谷派なので。 これは山奥とはいえ、お参りする価値が大いにある素晴らしいお寺の描写、 ありがとうございます。
2013年06月23日08時14分
おおねここねこさん asasさん カニサガさん stiさん ゴルヴァチョフさん hisaboさん atsushiさん hattoさん 自然堂哲さん コメントありがとうございます。 相変わらずのレスポンスで申し訳ありませんが、まとめてのレストさせていただきます。 世界遺産「白川郷・五箇山」というと皆さん岐阜県の白川郷を思い出されるでしょう。 合掌造りの集落・・・ですね。 しかし、先日の富士山の世界遺産登録の時にも話題になっていましたが、登録によって観光客が急増し、いろんな問題が起きているのも事実です。 岐阜県の白川郷も整備され多くの観光客で賑わっていりますが、年がら年中観光公害とまでは言わないまでも人が入りすぎのような感じです。 一方、富山県の五箇山は遙かに観光客が少なく、まだまだ素朴な佇まいが残っています。 その中でも、ここ利賀村は谷筋も違い、さらに山奥感があるところで観光客も本当に少ない所です。 もっとも、合掌造りも少なく観光資源に乏しいと言うことも原因かもしれません。 が、σ(^_^)は好きです♪ この静けさ♪ そんな奥まった集落にあるのが、この西勝寺。 かなりの由緒があるお寺のようですが、訪れる人も少なく静かでした。 白川郷にも同じような茅葺きの鐘楼をもつ寺がありますが、ここは人人人・・・(^_^; どちらが良いのかは分かりませんが、雰囲気は最高ですね♪ 我が家の菩提寺ということを誇れます。
2013年06月29日11時17分
TR3 PG@
さて、この西勝寺はそれなりの由緒あるお寺のようです。 創建は室町時代の文明年間(1469年~1487年)と伝えられる浄土真宗 真宗大谷派(東本願寺)の寺院で、山号は五谷山です。 南砺市の史跡に指定されています。 戦国時代、織田信長と本願寺による石山合戦の際、住職の明恵が五箇山の塩硝(火薬の原料)を集めて本願寺勢に参陣したといわれています。 江戸時代には加賀藩から手厚い保護を受け、隆盛を極めたそうです。 この茅葺き屋根の山門(鐘楼門)は江戸時代の明和年間(1764年~1771年)に飛騨の匠によって建立されたと伝えられており、茅葺きは近年吹き替えられたものの、豪雪地帯ということもあり、古い建物の一部に鉄パイプで補強がされています。 楼上の梵鐘は、明和4年(1767)9月鋳造、加賀鋳師の名門「藤原朝臣平井但馬守伊永」の作で、本堂は大正10年(1921年)に再建された建物です。 かつて隆盛を極めた名刹も、今では荒れ寺の感もあり、檀家としては少し寂しい気もします。 ちなみに、昭和58年の大晦日、NHKの行く年来る年でこの鐘楼門の除夜の鐘が全国放送されています。
2013年06月17日21時45分