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写真エッセイ:天心美術館1:ロビー

写真エッセイ:天心美術館1:ロビー

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    隣り町、北茨城市大津港五浦に県立岡倉天心美術館がある。 海を眺める断崖上に建てられていて、美術館そのものが美術である。 岡倉天心は横浜生まれ。現在の横浜市開港記念会館近くに生家があった。 天心は、17歳で東大文学部を卒業し!、文部官僚となり、アーネスト・フェノロサ(東大客員教授・哲学)と共に東京美術学校(現 東京芸大)の開設に尽力した。天心は27歳で初代校長となり、フェノロサは副校長になった。これが近代日本美術の曙となった。 *下につづく

    コメント5件

    yoshi.s

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    *上からのつづき その後の紆余曲折は省略するが、やがて美術学校を追われるが如く去った天心は、弟子であった横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山らとともに、新しい日本画を模索すべく、1906年、北茨城大津の五浦に日本美術院を開く。今から120年ほど前のことである。 新しい日本画とは、それまでの日本画の伝統であった事物の輪郭線を廃し、画の色だけで輪郭を描くというものであった。それは西洋絵画の油絵の技法を、岩絵具で描く日本画に取り入れようとする試みだった。 これは当時の日本画壇にとって大革命であって、日本画壇をはじめとして、美術学校の他の教授たちからも大反発を受けた。新聞には、輪郭線のない朦朧とした画だ、と揶揄され、朦朧体というレッテルを貼られた。 しかしやがてこれが世界で評価されるようになり、今では、この朦朧体の日本画が日本画の主流となった。イノベーションというのは、常にそういうものなのかもしれない。 日本美術院が主催する院展は、日展、二科展と並ぶ日本三代美術展覧会の一つである。

    2025年12月09日20時31分

    写楽旅人

    写楽旅人

    ガラス越しに見える海の景色、まるで額の中の画を見ているようです!

    2025年12月09日16時20分

    yoshi.s

    yoshi.s

    写楽旅人さん うれしいですねえ。わが意を得たり、の思いです。 ここは館内も美術そのものです。 おそらくそのように意図して作ったのでしょう。

    2025年12月09日17時42分

    ぶっちゃん

    ぶっちゃん

    こんにちは。 行ってみたくなりました^^

    2025年12月09日17時44分

    yoshi.s

    yoshi.s

    ぶっちゃんさん 北上の折にはぜひ。

    2025年12月09日17時49分

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