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さて、前回(2004年11月)同様西山石窟群だけの見物になりますが、今回は前回とかぶらない視点での写真を紹介していきたいと思います。 これは入場して直ぐ右手にある潜渓寺窟の隣、賓陽三窟を見上げたものです。 小さな祠が並ぶ下に、大きな窟が三つ開いていますが、これが賓陽三窟で、北魏の第七代宣武帝の命によって6世紀初頭に造られたものです。 以下、コメント欄で…
オーちゃん!さん、いつもコメントありがとうございます。 石窟はお墓ではなく、祈りや供養の目的もありましたが、主たる目的は仏教の教えを広め、人々の信仰を集めるために作られたそうです。 また、北魏の時代には、皇帝や貴族が自らの権力や財力を示すために石窟を造営したとも。 亡くなった家族や親族の冥福を祈るための他には、仏像を造った経緯や寄進者の名前などを記録し、記念碑としての役割もあったとか…
2025年07月17日09時10分
TR3 PG@
魏書『釈老志(しゃくろうし)』によると、500年に第七代宣武帝が亡父母のために、一つずつの石窟を開くように命じ、さらに508~512年には自らのために石窟を開きました。 これら3つの石窟が賓陽三洞と呼ばれています。 奥から北洞、中洞、南洞といい、宣武帝自身のための賓陽中洞は、天井と床面いっぱいに蓮華の彫刻をほどこした華麗な装飾があり(過去紹介写真参照)、517年ごろに完成したと推定されているそうです。
2025年07月17日05時38分