komaoyo
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宇宙関連で旧知の友と会った日に リンホフテヒニカにポラバックで撮影してもらったもの・・・歳を感じますね。昔は神田正輝・水谷豊(オールバック時)・志村けん(子供には受けてました)・岩城滉一(カメラ屋さんイチ押しで結婚式参列の岩城滉一家族写真貰いました)・寺島進と様々に例えられてきました。他の方の意見ですので悪しからず・・・ SONY Cyber-shot DSC-RX100 Vario-Sonnar T* f1.8-4.9/10.4-37.1mm
run_photoさんの「初心忘るべからず(1986年)」にコメント 備忘録 komaoyo 2025年08月20日16時28分 「科学誌「Nature」に私の論文掲載の連絡」 おめでとうございます。 地球環境に関する論文でしょうか。素晴らしいことです。今までのコメントのようにいつも真摯に返信いただく姿と内容には感じ入るものがありました。なるべくしてなった成果だと思っております。 これからますます研究に取り組まれ、10万年先も人類が生き残る事が出来るようにご指導ください。 中学生の頃の青春18きっぷ旅の途中、雨のそぼ降る小さな駅で寂しさとこれから先の希望が交錯するような表現で見入ってました。 私の小中学校からの友人がJaxaを退職後外郭団体で今も宇宙ゴミ問題に取組んで研究を続けており、地球環境と共に地球外からの脅威にも取り組む必要性を感じます。 追伸 8月19日23時過ぎに関西地方で大きな火球が観測されました。これも宇宙ゴミです。こういうのが落下してくると場合によっては大きな影響を受ける可能性も充分にあります。 コメントに対する返信 run_photo 2025年08月20日19時23分 komaoyoさん こんばんは。いつも見ていただき、またコメントもいただきありがとうございます。 大きく地球環境に貢献できるわけではありませんが、小さくても確実に地球環境改善への一つと言えると思っています。人類が種を存続できるかどうかは人類次第なので一人でも多くの人がそれに気づき小さなことから始めていくことが大事ですね。 ご友人がJAXAにいらっしゃったのですね。おっしゃる通り宇宙ゴミや海洋プラスチックなど「ゴミ」問題が深刻になってきていて、そのようなことに真剣に取り組んでいらっしゃる方がいると聞いて安心します。 写真の方は、今では考えられないことですが豊岡駅で一夜を過ごし、早朝出発すると「良い雰囲気だな~」と思って下車して撮影したことを鮮明に覚えています。少しの不安とこれから始まる旅のワクワク感が入り混じる感情があったように思います。
2025年08月20日19時28分
shippoさんの「冷夏」にコメント備忘録 komaoyo 2025年08月21日17時54分 冷夏、しばらく聞いていない言葉ですね。 画は冷夏で客が来ないのか、猛暑で客足が伸びないのか、どっちなのか気になる。 トランプのスカラー波はなんとも怖い。 任意の場所にエネルギーを集中させるような武器転用は可能かどうかは別として、そのような思考や発想はやめて欲しいですね。 ただでさえ不安定な大気圏、人の手でいじくりまわすのはごめん被りたいものです。 それよりも、ノーベル平和賞が欲しいトランプはロシア寄りの割譲案で納めようと躍起ですが、ザポリージャには原発がロシアの実効支配下にあり、現在冷却停止中ですが、周囲はロシア軍による地雷原となっており、野生動物により爆発する事も多く施設への影響も大きい。 IAEA監視員が駐在していても、支配するロシア軍兵はウォッカを飲み酔っ払い、娼婦を招き入れる等秩序は最悪。 原子炉の扱いもロシア方式とは違う欧米型で操作は全く出来ない作業員が月単位で入れ替わり立ち替わりで、事故が起こっても対応は困難だという。しかも外部からの電源が遮断されれば、原子炉を冷やしている電源喪失でチェルノブイリの二の舞にもなりかねない危険性を孕んでいます。 スカラー波以前にこの問題を先に収束させる方が先決だと思います。 追伸 ロシアの攻撃スタイル「ダブルタップ」の悲惨な実情も見逃せません。一度攻撃した場所で、救助活動に集まる人を狙って同じ場所を時間差をつけてもう一度攻撃するという非人道的な行為も許されることではありません。
2025年08月23日10時23分
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run_photoさんの「原点回帰と革新」にコメント 備忘録 komaoyo 2025年01月06日17時53分 GMで初心忘れず、常に革新 訓示されたんでしょうか。 何にでも有るある「天体写真は月に始まり月に終わる」みたいな 50mm標準説は、 撮りようによって広角的にも、望遠的にも撮れる万能レンズ。人が眼にする光景(画角に)に近い、だから標準レンズなのだと。 カメラレンズの標準焦点距離が50mmの理由 Leitz社のLeicaが由来 撮影時のレンズの焦点距離にもよるが、画面のディテールはある適当な距離で観察しないとはっきり見えない。これは、人間の目には解像力の限界があるからである。バルナックはこの欠点をいかにして解決するか自問した。「観察可能なディテールは裸眼で見るのと同程度に画面に再現されるべき」 というのがバルナックの考えだ。 半径1の円で2分の中心角の張る弦をwとし、その円の外側に同じ中心を持つ半径fの円を描き、2分の中心角がその円に張る弦をdとして1:w=f:dと置き、この比例式を整理するとfw=dの関係性になる。 そして、dを0.03ミリとおいて(35mmフィルムの乳剤の解像度の平均値)fを求めると、fは50mmになる。これが現在でも常識となっているカメラのレンズの基本焦点距離50mmである。 ライカに付けるレンズは人間の眼を模倣して設計したものであり、通常人の眼で見ている焦点距離が50mmであると仮定し計算して導き出したものである。これはあくまで当時のErnst Leitz社が発売したカメラのレンズの標準焦点距離であるが、画期的な35mmフィルムの超小型カメラが当時主流だった大判や中判カメラを遥かに超えた大ヒット商品となった為、世界各社がライカを追従し模倣し、ライカLマウント(L39,LTM)のカメラやレンズを設計した為、オールドレンズは50mmが圧倒的に多い。 komaoyoさん こんばんは。コメントいただきありがとうございます。 はい、GMとして訓示すると同時に自分に言い聞かせたといっても良いと思います。 原点回帰とは研究者としての目的・責任・モラル見つめ直し、そのうえで世の中にないものを生み出す革新的な研究をするということになります。 本題の50mm標準説。 様々な考え方や、いわゆるライカ版が由来となり、さらに工学(光学)設計的に50mmが基本焦点距離になったことは存じ上げております。 以下は、歴史や都市伝説を理解したうえでの私の私見ですのでお読み捨てください。 私はそもそも「標準レンズ」という言葉は一切使わないのですが、なぜなら「標準」など存在しないからです。 テクノロジーの変化や多様化、考える視点によって変化するものは「標準」とは呼べず、研究者としては受け入れがたいものがあります。この言葉が不変的に使われていること自体違和感があります。 Leitz社は「標準レンズ」という呼称を用いていないと思料いたしますが、「標準レンズ」に関しては文献によって一貫性がなく、恐らく後に様々な憶測や使い勝手の良い言葉として生まれたのではないかと考えています。 焦点距離と画角を混同する事例も多くみられますが、工学(光学)設計的には焦点距離が重要視され、撮影者には画角が重視されるところから生まれた矛盾の産物ではないかと考えております。 細かいことはさておき、撮影者視点においては、ゴルフクラブに「標準クラブ」が存在しないことと同じで、撮影者は自分が表現したいフォーマットとレンズを使い分ける。ただそれだけだと考えています。 長文で失礼いたしました。
2025年08月20日19時57分