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2006年ドイツの旅 聖ゴアーと聖エリザベート 教会@ザンクト・ゴア―

2006年ドイツの旅 聖ゴアーと聖エリザベート 教会@ザンクト・ゴア―

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    街の端にあるこの教会、聖ゴアーと聖エリザベート/St. Goar und St. Elisabethという名のカトリック教会です。 教会の横に街の名「ザンクト・ゴア―/Sankt Goar」由来の聖ゴア―のモニュメントがあり、教会の名にもこの聖人の名が入っています… ここで一つの疑問が… 何故街の名にもなっている聖ゴア―を奉献する教会が街の端にあるのか? 街中でも良いような気がするのですが… (後で分かったのですが、街中に聖ゴア―教会というのが別にありました…) 続きはコメント欄にて…

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    街の歴史を紐解くと… 6世紀頃、既にあった集落に修道士ゴアーがやって来て、最初はライン川沿いの洞窟で隠者として住み着いたそうです。 その後、トリアー大司教の許可を得て、地元の人々への宣教師として働き、現在町がある場所にホスピスと礼拝堂を建てたそうです(当然ローマカトリックですね…)。 彼の死後、ゴアーの墓は巡礼地となり、この地は彼にちなんでザンクト・ゴアーと名づけられたのです。 8世紀にはフランク王もホスピスと礼拝堂の正当性を認め… ということで、フムフムなのです…が… ところが、この地の様々な抗争、領主の移り変わり、それに絡んだ16世紀の宗教革命により、この街は一時的にプロテスタントが優勢となったそうです。 その結果として、聖ゴアーの墓があった聖ゴア―教会へのカトリック信者の礼拝が禁止され、かつお墓も追放されてしまったそうです。 その後、17世紀後半にカトリック教会も含めてお墓の再建が市門の外(今の街の端)に認められ今に至るということらしいです。 つまり、街中の聖ゴアー由来の「聖ゴア―教会」はカトリックからプロテスタントとなり、一旦追放された聖ゴア―のお墓とカトリックの教会が街はずれに「聖ゴアーと聖エリザベート教会」として再建されたということです。 いや~宗教も絡んでゴタゴタが続いていた地域だったのですね。 ただ、誤解の無いように書いておきますが、現在街の中心にある聖ゴア―教会では当然聖ゴア―も奉献されており、ステンドグラスにも聖ゴア―の姿が描かれているそうですよ…

    2024年07月22日05時39分

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