starferry
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一日降り続いた雨がやみ、夜空には星が並んだ。ずっとずっと遠くの方から、気の遠くなるような時を越えて届けられるかすかな光。それは何かのメッセージのようにも思える。蛍が光るのも星が光るのも、花が咲くのも雨が降るのも、きっと同じことなんだろう。 雨にも風にも石にも空にも、名前をつけた人がいた。星にも雪にも花にも香りにも。存在するものに名前があるのは、目印としてであったり区別するためであったり、忘れないように覚えやすくするためであったり。 (↓コメント欄に続きます。■1~3です。長いです)
■2 Aさんの話はさらに続いた。 一度家が火事になったことがあってな。隣の家で出火してうちにも火が移ってきたんや。そらもうびっくりしたでぇ。夜中でな。女房が先に気づいてわしを叩き起こした。そらもうあっという間やったわ。箪笥から何から全部燃えてもうた。でもな、ひとつだけ火事に遭うて嬉しかったことがあったんや。火の回りが早くて、とにかく持てるもんだけ持って飛び出さないかんかった。わしも女房もな、一目散にアルバム取りにいったんや。なんやお前もこれが大事なんか言うたら、これがあれば他はいいんです、言いよるんや。そら、何が嬉しかったて、あんなうれしいことはなかったで。 「他のものは失くしてもなんとかなるけど、これはどこにもないでしょう。私の宝ですから」 「違うわ、わしらのじゃ」 奥さんは10年前に病気でAさんを残して逝った。棺の中にそのアルバムを入れて見送ったそうだ。何にも言えない。Aさんはしばらく目をつぶって思い出していた。どれほど悲しかっただろう。 「わしも、もうじきや」 「何が?」 「もうじきあの世行きや。やっと会えるわ」 「何言うてんねん、もうしばらくおりぃやぁ」 酒が入ると気が弱ってすぐそんなことを言う。もうちっとおりぃや。寂しいやんか。
2024年03月19日23時23分
■3 そんな話をしていたあの日から、もう20年の歳月が流れた。そのAさんも、今はもうこの世にいない。どこまで本当だとか、いつかそれはどうでもよくなった。心に残ったものは全部本当のことだから。ちゃんと響いたことだから。ありがと、じいさん。父方も母方も早くに亡くなってたから、俺にとってはあんたは本当のじいさんだったよ。 ちょっと嘘つきでお調子者だけど、思い出すと笑顔ばかりが目に浮かぶ。 あんなじいさんになりたいものだ。 -------------------------------------------------------------- 長い長い文章を読んでくださった方、ありがとうございます。ずっと昔に書いたものですが、この花を見て思い出しました。
2024年03月19日23時25分
おはようございます。 沢山の白い小さな花が見え、また赤い蕾も緑を背景に映える。いろんな可愛い色目が見えて、見ていて楽しく、ちょっと幸せ感上がる感じに、それが「思いやり」なのでしょうか?(^^) Aさんの話、小説、ドラマですね、感慨深い話です。ドラマ、映画で見てみたい^^; 宜しくお願い致します。
2024年03月20日06時39分
>me..さん、こんばんは。 長い文章を読んでいただきありがとうございます(^_^;) ずっと以前に、こういう日記のようなエッセイのようなものをブログやSNSで書いておりまして、写真サイトにアップするものでもないかなと思いつつ、たまには長文もいいかと載せてみました。 一服の清涼剤になったようで嬉しいです。
2024年03月20日20時13分
>TU旭区さん、こんばんは。 花言葉はどこの誰がどういう結びつきで作っているのか、書いてある本や人によって花言葉自体が同じ花でも違っていたりするので理由はわかりませんが、一枚一枚が透けてみえるような、とても繊細な花びらの花や、小さくて愛らしい蕾から来ているのかもしれませんね。 大学時代のアルバイト先でお世話になった方ですが、面白い方でした。自分の思い出の中にあるだけでなく、こうして文字にしてどなたかに読んでいただくことにも、何か意味があるかもしれないと考えて、こちらに記載させていただきました。長い文章をお読みいただきありがとうございます。
2024年03月20日20時24分
>奈良のもぐちゃんさん、こんばんは。 花屋で見かけて、可愛いなと思って買って帰り、すぐ鉢に植えました。風に揺れている姿がまた可憐でとてもいいです。 写真もオールドレンズのような描写のレンズで撮りましたので、古い物語を思い出して載せてみました。お読みいただきありがとうございます。
2024年03月20日20時27分
こんばんは。 素敵なお話。エッセイかなと思って読み始めたのですが、ノンフィクションの小説のようにも 思えてきました。 年配の方は昔のことをよく話します。どこまで本当の話か分からないけれど、 その元になった出来事は本当のことで、その時の感情のようなものが少しの脚色に なっているのかも。でも、そのおかげで話に臨場感が出てきて、聞き手の記憶に 残っていく。自分にとって有用な話であればそれは教科書やWebには載っていない 厚みのある本物の知識になっていく。 年配の方は様々な経験や苦労を重ねてこられた人生の先輩なので、このような会話から 得るものがたくさんありますね。 いつか自分もそのような年になった時に、若い人にこのような話ができる経験豊富な 人間に、厚みのある人間になりたいと思います。 冒頭のお話に戻ると、名前、さらには言葉を発明した人は、文字を発明した人は どんな人だろうかと考えることが良くあります。 いずれにしてもそのような先人の知恵で生きてきた自分、これからは知恵を残していかないと いけない歳になってきました。 自分の研究よりも、若い人に何かを残さないとと思うようになりました。 starferryさんの言葉から、改めてこのようなことを思った次第です。 お話の趣旨からずれてしまったかもしれませんが、いろいろなことを考えさせられる素敵な お話をありがとうございました。
2024年03月20日20時48分
>run_photoさん、こんばんは。 私の昔の思い出話まで丁寧にお読みいただき、ありがとうございます。 じぃじと孫ほど歳が離れておりましたが、なんとなく気が合うというか波長が合うというか、学生時代のアルバイト(地下鉄の本町駅・淀屋橋、時々堺筋本町駅辺りを夜勤で清掃しておりました。クラブの先輩から代々続く凄くわりのいいアルバイトでした)でもメンバーのまとめ役をやらせて頂いたり、仕事外でも飲みに連れていってもらったりしておりました。 普段からふざけた話ばかりしておられましたが、お酒が入ると昔の思い出を面白おかしく脚色も交えて話してくれました。そういう話の中にも、こうして未だに覚えているものもあり、人間はこうして人から人へ、色んなものを受け継いでゆくものなのだろうと思います。意識していませんでしたが、私が写真を今頃になって始めることになったのも、このじいさまの話がひとつのきっかけになっている気がします。何がどう繋がっていくのかわからないのも、人生の面白味ですね。 いつのまにか時は過ぎて、色々ありながらも何とか生き延びて現在に至り、気がつくと自分も相応に歳を重ねて次の世代へバトンタッチの順番ですね。子供にもお金は残せないけど、伝えておけることは伝えておかなくてはいかんなぁと、しみじみ思う今日この頃です。 読んでいただいて、色々感じたり考えたりしていただけてうれしいです。写真にまつわる話と言えなくも無いので、置かせていただきました。
2024年03月20日23時24分
starferry
■1 初めて名前を呼ぶ。存在を確かめるように、間違わないように。 名前のあるものは、その名前で呼ぶということが、案外と大事なことなのだと思う。名前はそのものの全てではないけれど、呼ばれ続ける内に、それ以外のなにものでもなくなってゆく。 宵待月(よいまちづき)、弓張月(ゆみはりづき)、月下香(げっかこう)、花櫛(はなかざし)、吾亦紅(われもこう)、金木犀(きんもくせい)・・・音の響きや文字の組み合わせの美しい名前は、知るだけで嬉しい。それを名づけた人の心が素敵だ。 花屋に入ったばかりの頃は、お店に並ぶ花のほんの数種類しか名前を知らなかった。辞めてからもう20年以上経つのに、今は花屋さんに並んでいる花で知らないものの方が少ない。 いつのまにか覚えてしまって、きっとずっと忘れない。そんなことが、歳を重ねるたびに増えてゆく。名前や声や匂い。何気なく交わした会話。変なクセ。覚えようとせずに覚えてしまったものは、なぜか不思議なくらい忘れない。 奥様の名前を口にする時の、その人の顔は、とても穏やかで優しかった。 Aさんは学生の頃、ふとしたことで知り合ったおじいさんで、ちょっと格好いい人だった。油断するとすぐ戦争の話を始めるのが玉にキズだったけど、Aさんの話はどこまで本当でどこから嘘か境目がわからなくて面白かった。 昔は設計技師でな、旧満州の鉄道の設計をしてた。日本に帰りたくても帰れんでな、もうそのまま向こうで骨埋めるもんやとあきらめとった。それがどういう訳か今のこの清掃会社の社長の親父を向こうで世話したんが縁でな、敗戦のごたごたの最中にどさくさで帰れたんや。墜落しとった飛行機を修理して操縦してな。ようやったわ。でもな、帰ってきたはええけど、大変やったで。食うもんはないしな。なんでもやったわ。元の仕事に戻れたんはだいぶ経ってからやけどな。ちなみに大阪の地下鉄の設計したんもわしやで。 ほんまかいな・・・どこまで本当なんかさっぱりわからん。 いつだったか、こんな話をしていた。 奥様が若い頃は物凄い美人で、若かりしAさんは、何とか気をひこうとそれは色んな作戦を練ったそうだ。 奥様は元々お嬢様で、直接会いに行っても面会させてもらえないような家なので、いつも手紙を送っていたそうだ。その手紙の内容は内緒と言って教えてくれなかったが、手紙といっしょにある物をいつも同封していたらしい。それは、Aさんの子供の頃からの自分の写った写真。赤ちゃんの頃のものから、徐々に成長していく自分の写真をいっしょに入れていたと。会って話したくてもなかなか会えないから、自分のことを少しでもわかってもらうためにそうしたそうだ。 やがて自分の写真だけでなく、自分が撮った色んな写真・・・見たもの感じたもの触れたもの、感動した景色、食べたご飯、友達と写った写真、親の写真、ある日見た空がきれいだったとか、それこそ思いつくまま送れるだけ送ったそうだ。 うーん。ちょっと唸った。それはすごい。でもそれ本当の話?作ってるんじゃないのー?という突っ込みは無視されて、Aさんの話は続く。 そうして送り続けた写真はどうなったか。めでたく結ばれた奥様がちゃんとアルバムに整理して大事に保存してくれていたそうだ。結婚してからは、ふたりで行った旅行先の写真や、子供の写真が増えていった。時々アルバムを出してきては、ふたりで茶を飲みながら話をするのが楽しかったと。 「いい人だったんやねぇ。よかったね。そんな人と結ばれて」 「ああ、あいつは最高やった。わしには出来すぎた女房やったよ」
2024年03月19日23時23分