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城壁(市壁)を外から眺めて再度ブルク門に戻ってきました。 ブルク門の前は1356年の地震で崩壊したホーエンシュタウフェン家(コンラート3世)の帝国の城(Burg)があったところです。 崩壊後は復旧せずにブルク公園/Burggartenとして城壁外となっています。 その公園の一角からブルク門を眺めると、なんと立派な構えをしているのでしょうか。 このような中世の面影を現在まで残されているのはある意味奇跡ではないかと思います。
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何故この街が中世の面影を現代まで残してこれたのか?… その理由は神聖ローマ帝国の首都“機能”まで持った街でしたが、地震による城の崩壊も原因の一つのようです。 その後、街は帝国自由都市として盛り返したようですが、城のない街(政治的・軍事的機能が低いか無い街)は攻められるリスクも低く、宗教戦争である三十年戦争後の荒廃もありましたが、街自身がマイナーな存在となってその当時のままこの街が歴史に埋もれて行ったことを示しているそうです。 地理的にも田舎であり、かつ要衝の地ではなかったことも一つの理由だったのではないかとのことです。 しかし、そんな街でもあの第二次世界大戦の終盤には、この街に駐屯していたドイツ軍をせん滅するため、連合軍がこの街に爆撃を加え、1/3ほど街が破壊されたとのことです。 連合軍の中にも軍事的に重要性が無く、歴史的街を破壊することに反対の声が上がったらしいのですが… 戦後、地元の方々の努力で元の通りに復活されて今の観光的発展があるということに大いなる敬意を表したいと思います。
2024年02月25日07時56分