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*つづき 北茨城の磯原出身の弟子、飛田周山の案内でこの五浦を訪れた天心は、一目でこの地が気に入り、海を目の前にした崖上に自分の別荘を建てた。 間もなくそのすぐ近くに日本美術院を移転することを決め、横山大観ら同志たちの研究所とした。 想像するに天心は、この景観こそが新時代の日本画的だと思ったのだろう。 それまでの花鳥風月の日本画から、激動する世界情勢を象徴するかのような疾風怒涛の世界へ。 太平洋の押し寄せる荒波とそれを受けてそそり立つ崖が、美術学校を追われた天心の負けじ魂に火をつけたと思えるのだ。
ぶっちゃんさん 明治中期に世界を眺めた知性、岡倉天心の日本美術院に焦点を当てています。 天心は、アジアは一つなり、の言葉で知られ、その著、東洋の理想は名著として知られています。 天心は、14歳で開成学校(東大の前身)に入学した時すでに英語に堪能で(子供の頃からアメリカ人に英語を教わっていました)、英文の書籍を通して世界を見ていました。彼は17歳で東大を卒業しています。 大変興味深い人物で、今回の題材の日本美術院創設で知られていますが、じつは哲学者と言ったほうがよいでしょう。 アジアは一つなりの意味は、文化を同じくする、という意味でした。 のちに、大東亜共栄圏のプロパガンダに援用されましたが、天心には政治的支配の意味はありませんでした。 なお、同様によく知られた著書として、ニューヨークで英文出版された、茶の本(The Book of Tea)があります。
2023年11月30日20時12分
岡倉天心についての詳しい解説有難うございました。 美術学校での確執のせいで五浦海岸に六角堂が建てられたのですね。 日本美術を世界に広めて下さった天心さんが気に入られた 茨城の五浦海岸は日本の誇りの地と思いました。
2023年11月30日21時59分
michyさんがそうおっしゃって下さり、嬉しく思います。 私の家から30分ほどのこの景勝地。飽きずに何度も何度も来ています。とくにこの天心美術館ができてからは尚のことです。天心が、大観が、春草が、何を見ていたのか。それをどう捉えたのか。作品とこの景観を見比べてみると、芸術家たちの眼(まなこ)がよく分かります。 私は残念ながら絵を描きませんが、写真をやるようになってからは、共通するものを感じるようになりました。ですから、天心がこの地を選んだ本意が分かるような気がしているのです。
2023年11月30日22時24分
五浦美術館や五浦海岸の岡倉天心の六角堂やお家にも観光で行きましたが、 岡倉天心の事はざっくりした知識しかありませんでした 詳しい解説をありがとうございました 主義主張個性の強い美術の世界、 さぞかし色々な歴史があったのでしょう 隣にある五浦観光ホテル内の横山大観別邸に泊めて頂きました 断崖絶壁の上にある別邸では波が打ち寄せる轟音で眠れませんでした
2023年11月30日22時33分
ちこちゃんさん そうですか。大観荘別館に泊まりましたか。 それは豪勢です。が、波の音がね。それが子守唄になったら大観荘のリピーターです。 大浴場からは眼下に海が眺められますが、裏側の露天風呂にも入りましたか。これはこれで気持ちがいいです。
2023年12月01日00時56分
ぶっちゃん
こんばんは。 文芸写真楽しく拝見させて頂き有難うございます^^
2023年11月30日19時34分