yoshi.s
ファン登録
J
B
*続き 龍馬は、雲を得た龍のように各地を飛び回っていた。 薩摩と長州の盟約が結ばれるその先を見ていた。 亀山社中の本拠地であった長崎を離れ、事務所を置いた下関、そして志士たちが集った京。龍馬は疲れを知らずに歩いた。 その間、お龍は、伏見の船宿寺田屋の女将のお登勢に頼んで預かってもらうことにした。お登勢は「坂本様のお頼みなら」と、二つ返事で引き受けた。 寺田屋は薩摩人の常宿である。龍馬は京の三条河原町の材木商酢屋の二階に亀山社中の事務所を置いていたが、伏見ではここを足場としていた。 *下に続く
飛び入りでーす! ***** 薄暮の京の幸町、笠をかぶった勝の後方から、同じく、笠の中に鋭い眼光をした男が供している。一月まえ、龍馬の言葉に心を動かされ警護を引き受けた以蔵である。 暗殺の嵐が吹きあれる京都で、命が狙われる覚えがある者が深夜に外出することは無い。それでも、昼間や日が暮れないうちなら外に出ることはあったろう。とにかく用心して家に篭っていても、多人数で押し入られることがあったのだから、怖い時代であった。 多忙な開国急先鋒の勝であるが、守りについた以蔵の進言で人と会っても七つ下がりまでとした。しかし、そうも行くわけがない。この日は話しが長引いた。夕闇が迫るなか、往きに通った小さな稲荷のあたりに殺気が見えた。 「先生、御用心!」 「……」勝も歩みながら身構え、先後を入れ替わる。 その直後、三人の刺客が白刃をかざして襲ってきた。以蔵は抜いた刀を右下段に立ち向かい、「勝安房守天誅!」と叫んで袈裟に斬り下ろされた先鋒の刃を「ガキン!」と峰ではねのけ、返す刀で相手の左上腕、肘あたりを斬り裂いた。 「グエッ!」刀は落とさなかったものの、腕をかかえて呻く。早業の応戦に怯む二人。どこぞの攘夷かぶれの浪士であろう。戦闘不能となった男を突き刺し、「まだやるか!」と凄むと、悪鬼を見た様に震え上がり、動かぬ仲間を置いて逃げてしまった。 (命拾いした!)勝は安堵の気持ちと、(勝負はついていた…殺さずとも良いものを…)複雑な感情を覚えた。しかし、刺客を防いだ以蔵は高揚していたのであった…。 ***** *斬り合いの場面を想像してみました。 *事件後の勝と以蔵のやりとりが『氷川清話』で語られています。この時、勝が斬られていたら、日本の歴史は大きく変わったでしょう。その意味で、人斬り以蔵も日本史に大きく貢献したことになりますね…。
2022年07月17日14時16分
今田三六さん 迫力のある斬り合いのシーンですね。 以蔵は、まだ生きている刺客を刺し殺す。それを見た勝は、殺さずともよいものを、と心中に思う。 しかし、実際に殺しあう戦闘状況にあったとすれば、気は昂り、このようなことは起こりうると思います。心に鬼が現れるのでしょう。ウクライナの戦闘でも残虐な例が報告されています。 この物語では、以蔵は高揚していた、という記述で、彼がただの人殺し好きではない、ということが分かり、多少でも救われます。 つくづく思うのは、人の心には鬼も宿っているのだ、ということです。 その鬼を育てて大きくするか、抑えて働かないようにするかが、人非人になるか人になるかの分かれ道なのでしょうね。 教育の核心は、まさにそこにあると思います。 再度の飛び入り、ありがとうございます。
2022年07月17日19時40分
カリフォルニアポピーはアメリカから明治時代に渡来。幕末には本来ありませんでしたが、押し花にしやすい花らしく、坂本龍馬が上海からお龍にお土産としてもって帰っていたらロマンですね。 その花言葉は「富」「成功」そして「私を拒絶しないで」です。前の2つは同盟の成功に対応していますが、最後のものは幕末の殺し合いをいかになくすのかと考える海舟の考えに沿っているようです。
2022年07月21日00時31分
頑張れ!てんちゃんさん なるほど。おっしゃるとおりです。龍馬の土産ならお龍も喜んだことでしょう。 花言葉は、ぴったりですね。この物語を補完してくれてありがとうございます。
2022年07月31日21時52分
yoshi.s
*上からのつづき 女将のお登勢は、龍馬の6つ7つ年上で、面倒見の良い女だった。お龍を妹分として可愛がってくれた。 お龍は寺田屋の客にも人気が出て、客の求めに応じて月琴を弾き、歌を歌った。 その美貌と才覚は目立ったが、客には薩摩藩士が多く、龍馬の妻であることはよく知られていて、言い寄る者はいなかった。 龍馬と中岡の、実利的な薩長交流の取り持ちは功を奏し、薩摩藩家老小松帯刀の京都邸にて薩摩の西郷、大久保、小松と、長州の桂が会談をした。 これで龍馬と中岡の苦心が実った、かに見えた。が、しかし両者ともに藩を背負ってのプライドがぶつかり合い、盟約の話はまとまらない。 下関に行っていた龍馬が、京に戻って会談の様子を聞くと、いまだに話がまとまっていないことに愕然とした。桂は、長州に帰ると言い出している。 龍馬が桂に問いただすと、薩摩側からは同盟の話は出てこなかったと言う。「今や孤立している長州の自分から言い出せば、長州が頭を下げて薩摩に哀れみを乞うことになる。藩を背負う自分はこれ以上は頭を下げられない」と言う。 朝廷と幕府を敵に回して孤立した長州。幕府側の中にも齟齬があるとは言え、大実力者の薩摩。ともに雄藩だった薩長だが、今やその差は歴然としていた。 龍馬には桂の気持ちが痛いほど分かった。「桂さん、帰らずに少し待っててくれんかね」 龍馬はすぐさま薩摩藩邸に行って、西郷に言った。 「西郷さん、この重大な局面で、なぜつまらん見栄を張るんじゃ」。「長州の桂さんが、薩摩の小松さんの屋敷に来たと言うことで十分ではないんかね」。「こん話は、いまや立場が上にある薩摩の方から言いださにゃあ、成るもんも成らんぜよ」。「そんなつまらん見栄の張り合いばかりしておったんでは、日本が一つになることなんぞ、できゃあせんぜよ」 じっと龍馬の話を聞いていた西郷が口を開いた。「よく分かりもした。坂本さぁの話はもっともじゃ」。「いま一度、桂さぁと話をしもそ」 数日後の、慶応2年1月21日(1886年3月7日/現代暦)、再び小松帯刀邸に集った西郷ら薩摩側と桂は、龍馬の立会いのもとで、薩長の連合に合意した。 その趣旨は、薩摩は長州を支援するというものだった。 幕府側の会津や桑名が長州を攻めた場合には、薩摩は長州側について、これらと戦う、とまで宣言した。 こうして、やがて日本を転回させる原動力となった薩長同盟は、成った。 *つづく
2022年07月18日18時41分