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元町公園右側にはいくつかの建物と庭が整備されています。 その一角から函館山方面を見ると… 背後に函館山、そしてその麓に先ほどいた旧函館区公会堂、その下、中央の白っぽい建物が旧北海道庁函館支庁庁舎、左端に切れて写っているレンガの建物が旧開拓使函館支庁書籍庫です。 更に左横後ろには旧箱根奉行所跡があります・・・ この様に、この辺りは江戸末期から明治にかけての北海道開拓史の中心的要所であったことがわかりますね。
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ちなみに、公園の一角にあるテラス近くに「旧函館奉行所跡」と書かれた木杭が建っていますが、港を見下ろせるこの場所に奉行所が設けられたのは江戸末期の享和3(1803年)だそうです。 18世紀後半、鎖国体制をとっていた日本沿岸に、外国船が近づく事件が頻発するようになっていました。 かつロシアの南下政策の影響もあって、蝦夷地での接触が避けられないものとなり、日本とロシアの関係悪化が進みました。 そこで幕府は、寛政11(1799)年に松前藩が統治していた東蝦夷地を直轄地にして、幕府が外交上の問題に直接かかわれる体制をつくりました。 享和2(1802)年には蝦夷奉行(同年に箱館奉行と改称)が設置され、その翌年には箱館の港を見おろせるこの場所に奉行所を建てたそうです。 もっとも、この場所は函館港に入港する外国の軍艦からも丸見えの場所だったため、函館開港と防衛のために築いた五稜郭に元治元年(1864)移転したのです。 ですから、函館奉行所というと五稜郭にある建物を指し、ここは“元”なのですね。
2022年07月08日05時58分