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ボン・オペラハウスの正面です。 ちなみに、直ぐ横に「Opernhaus」というバス停があるので、ここを通る時に必ず車内放送があります。 その発音が「オープンハウス」と聞こえます。 ただし、「プ」と「パ」の中間の様な「プ」です。 ドイツ語で“Opernhaus”で英語では“Opera House”なんですね。 ドイツ旅行に来られる方は「オペラハウス」と言っても通じません・・・「オープンハウス」、オペラは“Oper”で「オーパー」です(^_^) コメント欄に続きます・・・
ここボンはローマ帝国軍の駐留地として歴史的には古いものの、田舎の小さな街でしたが、17世紀にケルン選帝侯つまり大司教の居住の地となり宮殿も築かれます。 当然宮殿には宮殿劇場が設立されます。 これがボンのオペラ劇場の始まりで、その宮殿専属の歌手がベートーヴェン一家の生業だったのです。 ベートーヴェンの父も当然宮廷歌手で・・・云々(おっとベートーヴェンの話に脱線しそうになりました(^^ゞ) ところが、18世紀末に一時的にナポレオンの支配下に入った時に時のフランス政府によって宮殿劇場が破壊されてしまいます。 19世紀に入ってプロイセンの支配下になると、市民が独自の劇場を建設しオープンさせます。 そのオープンに演奏されたのがベートーヴェンの献堂式序曲だそうです。 が、その劇場も第二次世界大戦中に爆撃で破壊され、戦後1965年に新たな近代的劇場として復活したのが今のボン・オペラハウスだそうです。
2020年12月15日01時14分
TR3 PG@
おっと、自分がボンに住み始めた当初のなるほどの一つ、オペラハウスの発音についつい文字数を使い切ってしまいました(^^ゞ 少し、ボン・オペラハウスについて説明しておきましょう。 ヨーロッパの歴史的な都市には必ずと言って良いほど有名どころのオペラハウスがあります。 ドイツではベルリン、バイロイト等々、ロンドン、パリ、ミラノ、ウィーン・・・ 数え上げると切りがありませんし、それぞれ歴史感漂う立派なところばかりですよね。 オペラはルネッサンス後期の16世紀末、イタリア、フィレンツェで古代ギリシャの演劇復興の活動として起こったものだそうです。 これが、衣装や舞台装置も徐々に複雑できらびやかなものとなり、オペラ劇場は王侯貴族や富裕な市民の社交と娯楽の場としても発展し、その立派なオペラ劇場がヨーロッパ各地に建設されていったようです。
2020年12月15日01時14分