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ホテルへの帰り道は…来た道をたどらず…フラフラと♪ わき道に入ると観光客の数はグッと減りましたが、あちこちに歴史的外観の建物が続いています… 人々が集まっているので何?と思い撮りましたが、後で調べてみるとここがプラハの新市庁舎であることが分かりました。 なんでもこの建物は1911年から使用されている“新市庁舎”ですが、既に100年以上も歴史を刻んでいるんですね… ここで市庁舎についてコメント欄に続きます…
オーちゃんさん、いつもコメントありがとうございます。 ですよねぇ〜♪ でも〜〜羽根ペンの方が・・・ だって、ガラスペンの発祥は明治の日本ですからね(^_-)
2023年03月20日10時00分
TR3 PG@
ところで、1週間前にupした「掘出し写真 旧市街広場 Staroměstské náměstí@チェコ・プラハ」でさらっと紹介している“旧市庁舎”ですが、一言で「市庁舎」といってもプラハの観光名所として“旧市庁舎Staroměstská radnice”と今回紹介した“新市庁舎Nová radnice”の他に“新市街市庁舎Novoměstská radnice”というのもあり、この3つが混同されやすいとのことです。 “旧市庁舎Staroměstská radnice”は多くの観光客が訪れる旧市街公園に展望塔や天文時計台と一緒にあり、最も知られた建物です。 歴史的には1338年に周辺の建物を購入して改築を繰り返し、今の姿になったようですが、もともとはその場所に更に古い建物があったようですが、現在はその跡形はないようです。 一方、“新市街市庁舎Novoměstská radnice”ですが、チェコ語を日本語にすると「新市街市庁舎」とか「新市庁舎」と訳されることが多いようです。 これが今回紹介した“新市庁舎Nová radnice”と混同してしまうことが多いようですね。 さて、この“新市街市庁舎Novoměstská radnice”、決して「新」ではありません。 その建設は1377年から1398年の間に行われ、今の姿は1743年のものだそうです。 旧市街公園にある“旧市庁舎”と歴史的にはほぼ同じ時期に建てられたものですね。 何故に「市庁舎」という建物がいくつもあったのか?・・・ですが、非常に簡単な話なのです。 これらの建設当時はプラハといっても4つの行政区(町)に分かれていたそうです。 1784年、その行政区(町)が統合され、その時に旧市街公園にある“旧市庁舎”に統合されたそうなんです。 さらにその後の1911年に“新市庁舎Nová radnice”ができたということですね。 “新市街市庁舎”はスフ戦争の切っ掛けの場所だったことから、歴史的に残り、今でも観光客が多く訪れているそうですよ。 プラハ観光にお出かけの時には注意してくださいね。
2023年03月20日07時41分