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黄色の蝶がハラハラと枯葉のように落ちて来た。 風に舞う木の葉のようにひらひらと飛ぶのではなく、まさしく枯葉が落ちるように落ちて来たのだ。 弱っている様子が見て取れた。 蝶はなんとか車道の際に降り立ち、翅を閉じたまま少しよろよろと歩いた。そしてふっと立ち止まり、そのままぱたりと横に倒れた。力が尽きたようだった。 「ああ、寿命を終えたのか」と私は思った。 *下につづく
感動しています。動けなかった蝶さんが優しさを頂いて しっかり立っているではありませんか。 蜜を吸ってくれるとまだ命がつなげるかもしれません。 涙がでそうです。
2020年11月16日20時54分
早速にありがとうございます。 さすが三六さん、蝶には敏感ですね。黄の中の黄か。なるほど。 この画自体は普通の蝶の写真ですが、ことの一部始終を見る機会はなかなかないでしょうね。 本当はね、三六さん、私は大いに感動したのです。 なぜって、この蝶の生きる様子は人間と同じじゃありませんか。いや、今どきならば、人間の方が学ぶべきところ大だとすら思います。私自身、大いに学びましたよ。それで、この感動を写友の皆さんとシェアしたいと考え、文にしたのです。
2020年11月16日21時03分
♪ tomo ♪さん 私もこの蝶の様子から力をもらった感じがしています。 いのちというのは、ただ食べ物や身体的条件のみによってあるのではなく、きっと、生きるちから、すなわち気力、によってあるのだということがよく分かりました。 その気力はどこから生まれるかというに、やはり喜びや希望だと思います。
2020年11月16日21時08分
michyさん 感動を共にして下さり、嬉しいです。 ほんとうに見たままの話しなのです。 私は確信しました。この蝶にとって花の上は喜びの場だったのです。 喜びこそが、生きる力なのです。
2020年11月16日21時16分
すみません。文章に目が行きませんでした。まず写真に飛び付いてしまいました。 投稿しませんでしたが、今夏、庭園で老いたモンキアゲハが枝に止まっているのに出会いました。相当近づいて写しても逃げません。そうしたらこのチョウ、意を決した様に私の周りを一周飛んで、また元の枝に止まりました。 何のメッセージを自然は送ったのでしょう…。とても不思議はシーンでした。そっとしておいてやり、次の日行ってみると、蟻に運ばれていました。 うーーん、私に感動はありませんでした…。
2020年11月16日21時25分
今田三六さん いや、感動があったに違いない。 その証拠に、ここにこうして書いているではありませんか。 おっしゃる通り、自然のいのちは不思議であり、またもっともだと思えるものでもありますね。
2020年11月16日21時54分
何の因果か、還暦から伯母を半年、そのあと母親を7年介護して送り、そして現在はアルツハイマー型認知症の叔母の介護1年目を迎えています。伯母93歳、母91歳、叔母は来年で92歳になります。 寿命を全うすることは素晴らしいことと思います。しかし同時に、老いは悲しいモノです。肉体や精神が衰えて行く様を目の当たりにしている私は、老チョウの死に感動より深い悲しみを覚えました…。 追記:ただ、この写真=エッセイからは感動が伝わります。
2020年11月17日00時07分
涙が出ました。 花の上に置いて下さってありがとうございました。 花の褥の方が似合いますよ。 私は、一度道路の上でペッチャンコのアカタテハを見ました。 綺麗だった赤と黒はちぎれちぎれでした。 暖をとって陽だまりの道路に居たのでしょうか。 助けられなくて無念でした。
2020年11月17日06時31分
今田三六さん 還暦を超えてから、お母さんを始めそのご姉妹の介護をする。大変なことです。黙々とされる姿に、頭が下がります。 老いて行くこと、衰えていくこと、そして別れていくことは悲しいものです。私も祖父母、父母を送った者です。よく分かります。 虫のこととは言え、老紋黄揚羽の最後に悲しみを覚えたこともよく分かります。 だからこそ私は、この蝶の束の間のいのちの輝きに感動を覚えたのだろうと思います。 ありのままのことをお話し下さって、ありがとう。
2020年11月17日15時27分
HATTUさん いのちに貴賤、大小はないですね。 こんな小さな蝶に対して、人に対するのと同じように感じるのですもの。 そしてそのことに共感する友がいるのですもの。
2020年11月17日15時40分
この花は、キタキチョウといって成虫で越冬することを、nikkouiwanaさんに教えていただきました。 私の撮ったものも動きが鈍かったのですが、多分最低限の動きで効率的に命を保つのでしょう。 例の写真の件、私は美術館でまともに美術品の写真を撮ったり美術館風景として写真を撮ったりします。 通常ここには美術館風景として撮ったものを掲載するのですが、今回は撮影のままのものを私の意志を主張する形で合成して掲載しました。私的利用なら大丈夫なのですが、SNSなら問題がある可能性があります。掲載と同時に愛知県美術館に問い合わせたのですが、あやふやな回答をしてきたので、直接作者にメールを送りました。
2020年11月18日01時19分
頑張れ!てんちゃんさん そうですか。ご教示ありがとうございます。 美術館の件。なるほど。丁寧な処置、学ぶところ大です。 詳細にお教え下さりありがとうございます。
2020年11月18日10時12分
yoshi,s様, yoshisさん キチョウとマリーの キューピット 元気を貰い 暖かハート 暖かいお話しをありがとうございます。キタキチョウさん。マリーゴールドに元気を貰い、無事に冬を越せるといいですね。
2020年11月19日00時22分
yoshi.s
*つづき しかしよく見ると、脚がまだ微かに動いていた。でも起き上がる力はもう無い。 私は、「逝くのならこんな車道の隅でなく、せめて花の上で・・」と思い、もう動かなくなった翅をそっと摘まんで傍らのマリーゴールドの花の上に置いた。フリルの花は寝心地がよさそうに思えた。 すると、なんと驚いたことに、蝶はムックリと起き上がり、よろよろと立ち上がった。立ち上がったまま倒れる様子はない。 私は小さく感嘆の声を上げ、その姿を写真に撮った。 そしてそのまましばらく見ていた。蜜を吸おうとする様子こそないが、倒れる様子もない。 「いのちの力が蘇ったのだ」と、私は思った。 もうだめだ、と思って倒れた蝶が、自らのいのちの本(もと)であった花の上に置かれたことで、気力が戻ったのだ。 やはりこんなことはあるのだ。蝶ですらも。 この黄蝶がまたひらひらと宙を舞ったかは分からない。 しかし、尽きようとしたいのちが再び燃えることはあるのだ、という感動を伴った確信が私の中に生まれた。 生きる力とは、よろこびと希望の中にあるに違いない。
2020年11月16日20時35分