さくたのジョー
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J
B
狛犬Aがある朝倉市と筑後川を挟んで 対岸にうきは市があります。 うきは市の装飾古墳で有名な日岡古墳 (淡島神社)の狛犬です。 台座に弘化二年の銘がありました。 よく見ると狛犬Aとそっくりです。 微妙に違うところは有りますが デザインや立ち姿など瓜二つです。 なのでAの製作年代も江戸時代の 可能性がかなり高くなりました。 しかし謎がひとつ増えました。 弘化二年に何があったのか? 向かいの若宮八幡社の銅製狛犬が 寄進されたのも弘化二年でした。
ことだまさん、こんばんは。 ありがとうございますm(__)m 見つけた時は「あれっ?」でした。 筑後川を挟んで同じ狛犬があるとは 思いませんでした。 大きな河川があると境界線になり 普通は違うエリアになるはずですが。 Bは日岡古墳に有りまして淡島神社として 奉られています。 場所は銅製狛犬がある若宮八幡社の 道路を挟んだ目の前にあります。 つまり道を隔てて二つの神社が あるわけです。 謎がひとつ。 若宮八幡社に銅製狛犬が寄進されたのが 弘化二年。 Bの狛犬が造られたのも弘化二年。 銅製狛犬は豪商が寄進したのですが 片方の神社だけに寄進するのは不平等 なので淡島神社に狛犬Bを寄進したとも 考えられますね。 おおよその年代が分り なんだかスッキリしました(笑)
2020年11月08日00時04分
すばらしいです。完全に郷土史家になっていますね。 また狛犬は神社の由来だけでなく、先人の信仰や暮らしぶりなどにも関係すると思うので、民俗学の研究にもなるのではないでしょうか。 確かに2枚を拝見するとそっくりですね。昔のことなので、大河を挟むと文化圏が異なるのは当然なのですが、実は密接につながっていたことが判明されたと思います。 これはお見事ですよ。スゴイです。(`・ω・´)∩
2020年11月09日21時07分
オニカマさん、こんにちは。 ありがとうございますm(__)m ただ興味本意で素人が推測しています。 唯一の弱点はこの形式の狛犬が長きに わたり作られていたら私の推測は外れに なります。 明治に入ってもこの形式で造られていたと したら、、。 ってとこですね(^o^;) 河川が境界線になるとは限らないのは 目から鱗でした。 職人が舟で河をわたり長い日数滞在して 造ったのか? またはこの形式の狛犬を造る一族が 両側にいたのか? 考えると楽しいですね。(^^)
2020年11月10日16時13分
なるほどです。河川の境界線ですか。おもしろくてムズカシイ問題ですね。 考えてみました。 元々、この形式の狛犬を造る一族がいた可能性は高いと思います。 まったく同じ石像を彫る一派が分散し、この辺り一帯に散って渡り住んでいた方が可能性が高いと個人的には思います。 どうしても水食料や土地問題などで対立しかねない両岸同士が、信仰の対象を相手側に依頼するとは考えにくい気がします。 なので根っこは同じだけど、異なる石工が造った狛犬に一票です。(`・ω・´)∩
2020年11月10日18時56分
オニカマさん、こんばんは。 ちょっと調べてみましたが 古い筑前タイプと似ている箇所もありますが (歯が犬歯でなく門歯) 角ばった顔立ちなどは独特なので この地域で独自に発達したのかも 知れません。 おっしゃるように古くは筑前狛犬を造って いた一族があちこちに散らばり独特の進化を したかも知れませんね(^^)
2020年11月10日20時40分
ことだま
こんばんは。 川を挟んで別な神社でそっくりなものを見つけるとは、なんと素晴らしいことでしょう。狛犬AとBを並べてじっくり拝見しましたが、これは作者は同じですよね、きっと。どちらも凛々しい姿、威厳のある表情です。
2020年11月07日19時18分