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ロイター通りを東に更に進んでいるとこんな建物が目に入ってきました。 斜めに入る通りにある三叉路の角にあり、その角面をガラスウォールにして人物が描いてあるのです。 その下に小さく「Königin Luise」と書いてありました。 直訳すると「ルイーズ女王」です。 で、この斜めに入る通りの名前が・・・ルイーゼン通りLuisenstraßeです。 なるほど! で、ルイーズ女王って誰?(^_^; 以下コメント欄に・・・
sou07(そう)さん、いつもコメントありがとうございます。 お洒落ですよねぇ♪ 最初、何が書いているのか分からず、じっと見ていると女性が浮かび上がってきました。 ん?と思い、ついつい調べて見ちゃいました(^^ゞ ここボンはベートーヴェン誕生の街、シューマン終演の街で、街角でも路上ライブがよく行われています。 今年は特にベートーヴェン生誕250周年の年で、大々的なイベントが連なっていたのですが、コロナで・・・(^_^;
2020年08月07日01時31分
TR3 PG@
ドイツの色々な街を徘徊すると、通りの名前に人物名を関している事が多いですと感じます。 先に紹介したσ(^_^)のアパートの近くのアルゲランダー通りArgelanderstraßeも有名な天文学者の名前でした。 今回紹介した通りも入口に「ルイーズ女王Königin Luise」とあり、その通りの名前もルイーゼン通りLuisenstraßeです。 そのルイーズ女王って誰?と、ちょっと調べてみました。 プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妻で、プロイセン王妃であることが分かりました。 その肖像画を見るとなかなかの美人です(^^ゞ で、この王妃、何がこの現代まで名を残しているかというと・・・ 当時、プロイセンがフランスのナポレオン1世と戦って負け、その戦後講和交渉の場でナポレオン1世と渡り合い、ナポレオン1世をして「美しき敵対者」「プロイセンの女豹」と言わしめた人物だったそうです。 ヴィルヘルム3世が無能であったわけではなく、交渉の場から外され、その代わりに彼女を交渉の相手にしたとか・・・。 相当の人物だったようですね。 このことが、プロイセン中の愛国者達の尊敬を集め、ルイーゼ王妃は大敗に苦しむプロイセンの崩壊を寸前で食い止めたとして大いに評価されたそうです。 ちなみに、彼女は34歳の若さで亡くなっています。 なるほど・・・ですが、何故このボンにルイーゼ女王の名を冠した通りがあるのか・・・そこまでは不明です(^^ゞ
2020年08月05日13時09分