マスター ファン登録
J
B
の割に幕末時、兄弟の桑名藩や会津藩は京都所司代や京都守護職と幕府に忠節を尽くしたのに尾張藩は人物が出なかったですな~(^^ゞ
ご自慢の金の鯱が眼を惹きますね。 幕末の件、流れを読み火中の栗を拾わない現実主義を 取ったという解釈も可能かと思います。 武士道よりも算盤と言ってしまうとロマンに欠けます が・・・。
2020年05月26日02時09分
手持ち文鳥さん 毎度(*^^*) 鋭い指摘ですね(*^^*) 確かに紀州家に負けましたし吉宗公が幕政改革で評判を上げ宗春公は今の名古屋の素地を作ったとは言われるものの事実上の財政破綻を招いたのは尾張の終わりだったかもですね(^^ゞ
2020年05月27日10時40分
お疲れ親父さん 毎度(*^^*) 成る程、先のコロナ世論誘導説と言い僕には無い切り口で事象を俯瞰するお話は魅力的です(*^-^*) 其処なんですよね~、勝ち馬に乗るのが武士道・・・。 恐らく戦国時代と江戸時代では武士道の本義が変わったのでしょうが、新選組のアイコンを使う僕にとって男の美学こそがと思っとりますので・・・。 ですが、己だけならですが一軍の将、領民の命を与る立場に在った場合、会津藩は戊辰戦争で徳川家に殉じましたが戦争の犠牲になった領民から恨まれました。 結局どの立場に自分を置くかで思考は変わりますね(^^ゞ(笑)
2020年05月27日10時41分
手持ち文鳥
尾張藩は御三家筆頭でありながら、8代将軍を出せなかった時点で「終わり」だったのかもしれません。
2020年05月25日23時55分