ホーム yoshi.s 写真一覧 写真掌編:にほひをこせよ31:山桜:写真歌 yoshi.s ファン登録 ユーザートップ 写真一覧 ギャラリー お気に入り ファン ファンになっているユーザーの写真 ファンになっている ファンになってくれている 写真掌編:にほひをこせよ31:山桜:写真歌 お気に入り登録33 8611件 D E 2020年04月10日21時49分 J B
朝の日に咲きこぼれけり山桜 うすくれなひの君のくちびる *つづき 佳夫と凛子は、次第に手応えを感じ始めて来た。互いに見せ合う写真も、おお、と思えるものが出て来るようになった。 何日かの撮影によって、二人の洞察の目は多少なりとも鍛えられて来たようだ。二人の撮影姿勢が、対象物の本質を見ようとするその一点に絞られていたからだろう。 *下につづく コメント11件 yoshi.s *つづき とは言っても、それほど簡単に本質に到達するはずもないし、何が本質かということを言えるはずもないだろう。しかし、ただ美しい色や形だけを撮って事足れりとしていたこれまでの自分と、今の自分とを比べれば、自らの視線が明らかに違って来たことを、二人とも自覚していた。 写真は、自分の目が見たものを撮る行為である、ということに気づいたのだ。 ならばまず、見える目を育てなければならない。それには、本質を見よう、と意識することだ。見ようとすることで、見る目が磨かれる。 これは、写真に限ったことではないだろう。 例えば音楽。曲を聴いてどう感じるかは聞き手の耳に依る。どんな耳を持っているかだ。 例えばワイン。どう味わえるかは飲み手の舌に依る。どんな舌を持っているかだ。 文章を読んでも、どう理解し、どう思うかは読み手の感じる力による。 写真を撮りながら二人は、そのことが分かって来た。そして同時に、相手がそのことを感じ取っていることに、互いに気づいていた。時々交わす数少ないことばがそれを証明していた。 「そうなんだ」。「そうだよね」 それぞれ感じていることを、言葉を介さなくとも分かる、という感覚は現実を超越した感じがする。二人はそれを楽しんでいた。 こと写真を撮っている間については、二人はもはやほぼ同化していた。 *つづく 2020年04月10日22時02分 はなてふ 撮りたくなる一枝ですね 多くの言葉を必要とせず 同化するふたり。。。いいなぁ(*^^*) 2020年04月10日22時21分 写楽旅人 ふっくらとした山桜、味わい深いですねえ! 2020年04月10日22時31分 yoshi.s はなてふさん そういうふうに、心がつながった経験って、ありませんか。 相手が何を感じてるか分かるとき。 2020年04月11日08時13分 yoshi.s 写楽旅人さん 山桜のふくよかさには優しさを感じます。 緑の若葉がそれを後押しします。 夕陽の時にはさらにですね。 2020年04月11日08時18分 ジョニー森永 柔らかさが伝わります。みずみずしいです。 2020年04月11日10時19分 michy 美しい真っ白な山桜の花に穏かな気持ちになっています。 やっとPCが直りました。これからゆっくり 佳夫さんと凛子さんの物語楽しませて頂きます。 2020年04月11日10時25分 YD3 桜は変わらず美しいですよね。^^ 2020年04月13日11時10分 yoshi.s ジョニー森永さん やはり花にも個体のタイミングがありますね。 2020年04月14日22時10分 yoshi.s michyさん おお、ご快気、おめでとうございます。 待ち遠しかったことでしょう。 いつもの場所にお座り下さい。 2020年04月14日22時12分 yoshi.s YD3さん いつの時も、ですね。 2020年04月14日22時12分 新規登録・ログインしてコメントを書き込む コメントを書き込む 同じタグが設定されたyoshi.sさんの作品 最近お気に入り登録したユーザー めいめい ファン登録 ☆Kamezoo☆ ファン登録 頑張れ!てんちゃん ファン登録 nekocyan ファン登録 コンサ ファン登録 yoshijin ファン登録 memeko ファン登録 nonchan ファン登録
yoshi.s
*つづき とは言っても、それほど簡単に本質に到達するはずもないし、何が本質かということを言えるはずもないだろう。しかし、ただ美しい色や形だけを撮って事足れりとしていたこれまでの自分と、今の自分とを比べれば、自らの視線が明らかに違って来たことを、二人とも自覚していた。 写真は、自分の目が見たものを撮る行為である、ということに気づいたのだ。 ならばまず、見える目を育てなければならない。それには、本質を見よう、と意識することだ。見ようとすることで、見る目が磨かれる。 これは、写真に限ったことではないだろう。 例えば音楽。曲を聴いてどう感じるかは聞き手の耳に依る。どんな耳を持っているかだ。 例えばワイン。どう味わえるかは飲み手の舌に依る。どんな舌を持っているかだ。 文章を読んでも、どう理解し、どう思うかは読み手の感じる力による。 写真を撮りながら二人は、そのことが分かって来た。そして同時に、相手がそのことを感じ取っていることに、互いに気づいていた。時々交わす数少ないことばがそれを証明していた。 「そうなんだ」。「そうだよね」 それぞれ感じていることを、言葉を介さなくとも分かる、という感覚は現実を超越した感じがする。二人はそれを楽しんでいた。 こと写真を撮っている間については、二人はもはやほぼ同化していた。 *つづく
2020年04月10日22時02分