たま407
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少年時代から苦労ばかりしてきた父ですが、鉛筆画は金もかからないので新聞の広告チラシの裏によく描いていたせいか、なかなかの腕前でした。 私も父に手ほどきを受け、記者になってから日刊紙夕刊に毎日時事漫画を連載していた著名な漫画家に、「漫画家になったら?」と言われるほどになりました。 父は大好きな横浜港界隈で、こうして仲間とともに街をスケッチする穏やかな老後を夢見ていたのかもしれません。
たま407
ジイさん コメントありがとうございます(=^・^=) そうですね、戦中、終戦直後を生きた戦争世代は大変な苦労をして地獄を生き抜いてきた不運な世代ですが、父はそれに加えて鬼のような義父・義母の元で殴られながら育ち(今で言う児童虐待ですね)、学校は小学校まで。中耳炎を患っても病院へも行かせてもらえず、一生片方の耳がほとんど聞こえないコンプレックスで苦しみました。 それでも卑屈になることなく、他人にはいつも誠実で優しく責任感があり、再就職した伊勢佐木町の某有名デパートでは56歳の時、上司が暴力団から小遣いをもらって便宜を図り一般客から度々クレームが寄せられていて、再三注意しても聞く耳持たないため、終いには鉄拳制裁するほどの正義漢でもありました。 デパートも暴力団絡みだっただけにもみ消しに奔走したようです。確か支払った和解金は30万円でした。 私も子供の頃に叱られた記憶は一度くらいしかありません。倒れてからは「お前には申し訳ないことをしたな…」と詫びていたくらいです。学問もなく劣悪な環境で育ちましたが、魂の美しい人でした。
2020年01月23日11時53分