Air Fix
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25年前の今日夜明け前とんでもない地鳴りで目が覚めました 覚めた途端に箱に入れられ上下左右に振り回されるような揺れに 起きようとしても起きれずになすが儘に耐えて揺れが収まって隣で就寝していた 奥さんと下の娘に声を掛けましたがタンスの下敷きになっていました
都市型大規模災害はどのパターンも起きてほしくないですね。。 起きた時間によっては帰宅難民にもなりえますし、千葉の風災の時のように後のインフラ等の回復まで時間がかかると大変ですね。。 日頃の防災意識も重要ですが、どこにいるかで決まってしまうので運試しですね。。
2020年01月17日22時12分
stig japanさん こんばんは! そうですよね、発生の時間帯によっても大きく変わるでしょうね 最近色々な場所で地震が発生しているので心配ですよね 自宅近くの新幹線の橋脚が何か所も落ちており発生が昼間なら・・・ 電気が一番最初で4か月遅れて水道でガスが出るまでは9か月かかりました それまではガスコンロの上にコールマンのガスバーナーを置いて 調理していました(笑)^^
2020年01月17日23時08分
四半世紀という時間はとても重みがありますね。 今朝の冷たい空気はよりあの日を思い出させるものでした。不便な生活は強烈な思い出としてはがれませんね・・ 伊丹空港の被害もあったのでしょうか・・線路や駅の被害がとにかくひどかったですね。
2020年01月17日23時19分
sabotaroさん こんにちは! 四半世紀経って忘れようとしてもこの1.17を迎えるとあの日の事が蘇ってしまいます 水・食品を探しに行けば長蛇の列、普通なら1個100円しない袋麺が 300円で売られていたり・・・車で15分で行ける隣町へ1時間かかって家族を乗せて 風呂屋に行ったり、余震が続く中明るいうちは奥さんの実家から自宅の補修に 休んでいた仕事先から一度報告に来いと言われ大阪市内へオートバイで向かうと・・・ 全然ライフラインに影響のない普通の別世界でした 空港は援助物資の集積場になっており運用は自衛隊だけでしたが無事だったみたいで 自宅近くへもチヌークが何機も物資を搬送しており 上空は常にAH-1S Cobraが2機編隊で哨戒飛行していました 発生後から何週間かは線路を歩いて移動したりしていましたが割と無事だったようですね(笑)^^
2020年01月18日14時20分
Air Fix
上の娘は隣の部屋で本箱の下敷きに、何とか助け出し余震の続く中ガスが漏れる音と匂いの中駐車場の車へ退避させて、当時4軒の集合住宅だったので他の居住者の玄関ドアを全て開けるのを手伝い隣の家を見ると屋根が傾き玄関がぺっしゃんこに潰れていました・・・ 今後、二度と震災に会いたくないですが防災意識が大事ですね。
2020年01月17日14時07分