こう月
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昨今、チェスのチャンピオンがコンピュータに敗れたり、プロ棋士とコンピュータの対戦が話題になったりしている。 そこで、今回は将棋とAIの関係について掘り下げて見ようと思う。 以下、コメント欄に続きます。 また長々と駄文が続きますが、写真についても少し触れていますので、興味のある方は読んで頂けると幸いです。
こんにちわ。いつも見て頂き有難うございます。 私も本を読むのが好きです。内田康夫先生の「王将たちの謝肉祭」まだお読みに成って居なかったら一読を。山の中で過ごしていた少年が詰将棋を将棋雑誌を読み暗記してアマチュアがプロ棋士に挑む物語です。なかなか面白く楽しめます。
2020年01月13日15時32分
よその方の素晴らしい写真は見るだけで勉強になるというのは 物凄く良くわかります。どんなレンズだからどんな風に撮ったよ とか、どんな被写体だから苦労したよとか、キャプションで 教えていただけることもものすごく勉強になっています。 過去の自分の写真を見るとちょっと恥ずかしいなというものが けっこうあります。それは自分が進化しているからだろうな なんて感じています。たまにトレンドを頂けると嬉しいなと 思う程度でコンテストにも出さない完全な趣味の世界ですが この年になりまだ進化していける自分の何かが有るのを実感 できるのは物凄い喜びです。
2020年01月15日00時42分
Binshowさん、こんにちは。 いつもお世話になっています。 本のご紹介をありがとうございます。面白そうな本ですね。探してみます。 私が最近読んだ本では、小川洋子さんの「猫を抱いて像と泳ぐ」が面白かったです。 チェスの才能に目覚めた少年が、大きな箱の中に入って、チェスマシーンとしてチェスの相手をしていくというお話です。 自分の感性が広がっていくと実感できた作品でした。
2020年01月24日13時41分
ゆうきゃん13さん、コメントをありがとうございます。 そのように言っていただけると、一番嬉しいです(^O^) 私も、人間はまんざら捨てたものではないと希望を感じた次第です。
2020年01月24日13時45分
MONOEYESさん、その通りですね。 気づかされました。 すこし違うかもしれませんが、「筋肉は裏切らない」という名言が思い浮かびました。 人間の体に蓄積されたものは、本人にも無自覚にいつまでもそこにあるものだということでしょうか。
2020年01月24日13時47分
GX400spさん、いくつになっても進化していける喜びは、とんでもなく嬉しいことですよね。 よくあることなのですが、私は恥ずかしくて、なかなか写真を投稿するのを躊躇ってしまいます。 しかも、後から見るとさらに恥ずかしいんですよね。 でも、それって自分が良くも悪くも進化しているということだと思います。 その進化の軌跡を恥ずかしいほどに如実に残してくれるものが写真だと思います。 なので、自分の羞恥心に耐えながらも続けていく事が大切だと思っています。
2020年01月24日13時55分
uncle ozumaさん、いつもありがとうございます。 uncle ozumaさんのお写真は単純に好きです。人柄が現れている様に思います。 もしかしたら、自分ではなかなか気づきにくい内面や、自分では気がついていない人生のデータの蓄積が写真に残り、それを見た人がその人の‘本当の姿‘を理解するということがあるのかもしれません。 また、感情の塊である人間が、冷静に自分や他人を見ることができるのか?と、いう疑問もあります。 いつまでも進歩がないように、行ったり来たりを繰り返していますが、その場に立ち止まることよりは良いと思いながら、やっていくことしか出来ないのかもしれません。
2020年01月24日14時07分
こう月さん、おはようございます(^^) 楽しく拝読いたしました。 私も将棋は好きです。 昔、羽生さんも仰られていましたが やはりPCの普及によりかなり効率よく 棋譜が見れる様になった事がひとつ。 もうひとつは将棋盤とモニターの マッチング。 何れも四角で形的にマッチしていて 視覚と脳内イメージの誤差が少ないと 仰られていました。 全ての棋士を目指す方々が藤井さんを 摸倣しても恐らく彼のレベルには なかなか到達しないと思います。 また奇手、妙手など感覚的な指し手を コンピューターがどこまで取り入れ られるのかが興味がある所です。 昔、TV対局で故大山さんと羽生さんの 対戦で羽生さんの生命線の角道を 五5歩の付き捨てで止めた鬼手。 タダですが取るに取れない歩でした。 結果は大山さんの勝ち。 勝負を左右する一手でした。 この様な感覚的な手をコンピューターが 再現してしまったらモハヤ人間が楽しむ 将棋は衰退しますね(^^) 長文失礼しました。m(__)m
2020年05月15日07時51分
さくたのジョーさん、こんにちは。 お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。 人間と将棋とコンピューターの関係は興味深いですね! なるほど。そこに人のイメージが加わり、コンピュータと融合していくような感覚が想像されます。 人の未来の姿を垣間見えるような感覚もあり、興味は尽きません。 将棋の知識があれば、それは尚更楽しいことのように思います。 新しいインスピレーションをありがとうございます。 今後もコメントなどいただければ、この上ない幸いです。 ありがとうございます。
2020年09月19日12時35分
こう月
藤井聡太4段(現在は7段)はなぜ強い? 「それはテクノロジーの進化による必然である」 中学生でプロ棋士になった藤井聡太は、そのまま他の先輩プロ棋士たちを相手に負け知らずの29連勝を果たした。 その強さは、まさに異次元。 その強さの理由が気になるところであるが、彼がその強さを発揮するまでやってきていたことは単純だった。 淡々とコンピュータを相手に将棋を指していたのである。 その対戦相手のコンピュータは、過去の棋譜を記憶し蓄積することで、AIが進化して無限に強くなっていく。 つまり、彼はコンピュータの強さを取り込んで強くなっていたのである。 14歳のプロ棋士としての対戦経験が浅さを、インターネット、ビッグデータ、高性能CPUでカバーしたのだ。 まさに自分の脳で、人工知能が行なっているディープラーニングの強みをコピーしてしまっている。 ここで一つの疑問が生まれる。 はたして人間の脳と人工知能はどちらが将棋が強いのか?という疑問だ。 答えは、"データをより多く蓄積した方が強い!"だ。 知能とは、データとデータの扱い方である。 コンピュータの強みは、膨大なデータを蓄積することにより、データから法則性を導き出して、データの扱い方を進化させていくディープラーニングにある。 こんなことをされてしまっては人間は敵わないかに見える。 いや、そんなことはない! 実は、人間はコンピュータよりも膨大なデータの蓄積を無意識にやっている。(無意識というのがポイント) 熱い、痛い、悲しい、恋しい、面白い、、、 人は五感を使って様々なデータを感じる。 そして人生経験を積んで成熟するとともに、データの扱い方も進化させている。 しかし、無意識が故にデータを体系的とらえることや、データの扱い方を整理することが苦手である。 私はこれはどうしようもないと考える。 むしろそれは諦めて、データをどんどん脳に入れる。 データをどう扱うかも整理することができないのなら、無意識にまかせてそのまま出てきたものを出す。 なんだかボヤッとした結論だが、とにかくデータを入れる!である。 実は私はこの仮説をもとに、ある実験をしている。 やっていることは単純で、とにかく写真を見ることと、とにかく本を読むことだ。 今、これが三年続いているのだが、変化が出てきた。 写真を撮るのが上手くなってきたのと、文章を書くのが上手くなったのである。 撮る方は、下手をすると1ヶ月くらいカメラを触らなかったりするのに、何故か久しぶりカメラを持ってもそれなりの写真が撮れる。 おこがましいが、文章はこれにしかり。 そして、私はこの実験を30年続けようと思っている。 コンピュータはこれからもデータの蓄積量が飛躍的に伸びていき続けるだろうし、ディープラーニングによりデータ扱い方も進化していくだろう。 人間には勝ち目の薄い戦いと分かっているのだが、私は私の人生の今まで40年と、これからの30年のデータに賭けてみよう思っているのである。 そしてまた、人間であるがゆえに、蓄積することでしか変われない年齢になってしまったことは、老いと共に少し切なさを感じる。 以上、独りよがりの稚拙な文章をここまで読んでいただいてありがとうございます。 ※ディープラーニングについては、過去の投稿で詳しく触れています。 https://photohito.com/photo/8521974/
2020年01月13日13時38分