こう月
ファン登録
J
B
今、最新の学問である量子力学が、"私"を解明しようとしている。 それでは、量子力学とは? それは、全てを説明しようとしている学問である。 "人の思い"までも、、。 以外、コメント欄に続きます。 とんでもなく長くなってしまったので、本当に時間がある方だけ、読んで頂けると幸いです。
最初に一番重い点は、存在したいと思った。 →見る"私"と、見られる"世界"に分裂した。 →相対性な関係が成立したので、存在出来るようになった。 →存在しているという体験まで発生してしまった。 結果、一つ点が、私(見るもの)と世界(見られるもの)と体験(余計なもの?)の3つになってしまったではないか⁈ しかも、この第三のトリニティである体験はさらなる副産物を生む事になる。 それは、"無"だ。 分かりやすく説明しよう。 一番重い点は分ける事によって、私(見るもの)と世界(見られるもの)の二つに分裂して対象を観察し、体験する事ができるようになる。 →体験によって経験を積み、分からなかった問題の答えが分かるようになる。 →いずれ全ての問題が無くなる(存在したいが出来ない、という問題も無くなる)。 →分ける必要が無くなる。 →分けようとする思いが無くなる。 →存在することが出来なくなる。 →無になる。 なんてことだ!! 存在しようとすると、無になってしま う!!! マジで困ったぞ。どうしよう、、、。 あれ?でも何か変だぞ、、? 最初のビックバン以前の一番重い点も、最初は存在していなかったのだから無じゃないか? あれ? ってことは、最初に戻っただけ? な〜んだ、最初に戻っただけじゃないか。 あっははっはっはははっは!! よかったよかった。めでたしめでたし。 って、全然めでたくな〜い!!!!じゃあ結局、私ってなんなのよ?! 、、、すいません。取り乱しました。 その答えの鍵はどうやら"体験"にありそうだ。 人は体験して経験を積むことによって、問題を解決していき、いずれは全ての問題が無くなる。 これって最初の一番重い点がやろうとしていたことと一緒だ。 つまり、私の目的は宇宙と一緒で、体験して、分かって、最後は"無"になるって事じゃないか! 人は個人個人が、それぞれ一つしかない貴重な体験をして最後には"無"になろうとしている。 そんな個人を"私たち"という枠にいれると、とんでもなくややこしい事になりそうな気がする。 いや、とんでもなく嫌な事が起きそう気がする。 というか、そもそも"私たち"なんて存在しないぞ。 存在するのは「私」と「世界」と「体験」だけだ。 そうか! これが私が"私たち"を嫌悪する理由だったのか!! はい!全部解決!! ・・・・って、なんかスッキリしないぞ。 そーいえば、宇宙の最初の一番重い点の"重い"ってなに?
2019年09月11日01時07分
、、、重い、オモイ、おもい、思い? アインシュタインの物理学は、すっごく重いブラックホールを説明出来なかったし、それよりもすっっっごく重い宇宙の最初の一番重い点も説明出来なかった。 もしかしたら、すっごく重たくなると、説明できない未知のエネルギー(思い)が貯まるのではないか? いや、本当は"思い"のエネルギーはわずかながら全ての物質にあって、それが凝縮され過ぎると、エネルギーとして働くのではないか? だから、物質が凝縮したブラックホールの強大な重い(思い)エネルギーは、時間さえも捻じ曲げるのではないか? もしかしたら、人は未知のエネルギーである重い(思い)を解明できるようになれば、時間さえも利用する事が出来るようになるのかもしれない、、。 ということは、火力→電力→原子力→重力→時間力? すいません、、。 話が飛躍し過ぎてしまったので、そろそろまとめてみようと思います。
2019年09月11日01時10分
宇宙の目的は、重い(思い)エネルギーを発散させて膨張し、やがては収縮して重い(思い)エネルギーを貯め続け、最後にはその重い(思い)エネルギーを使い、"無"になろうとしていることだ。 それに対して今、私が出来る事はまず、この"思いエネルギー"を理解することである。 それには一番思えることをすればいい。 一番思えることって何だろう? それは"感謝"だ。 人は愛しているという思いを、憎んでいるものに向けることはできない。 逆に、人は憎しみという思いを、愛しているものには向けることもできない。 まさに「憎めない奴」である。 そして、それ以外の感情も反対の対象には思えない。 人が憎んでいる人にも、愛している人にも、同時に思えることは、"感謝"だけだ。 そしてまた、人は憎んでいるものを許することも出来る。 そうする事によって"感謝"が倍増する。 つまり、人が世界の全てのものに対して同時に"思えること"は"感謝"だけなのである。 それでは、この効率的な思いエネルギーの貯め方をすれば、いつか、私もその膨大なエネルギーを使って"無"になれるのだろうか、、、? ん?なんだかどこかで聞いたあやしいことを言っているぞ、、、? ?だらけになってしまったが、まとまりそうもないうえに、あと最後に、実はまだ分からない大きな「?」が一つある。
2019年09月11日01時35分
それは、ビックバン以前の一番重い点は、なぜ最初に存在したいと思ったのだろうか?と、いうことだ。 ぜんっぜんわからん! その点の考察は、また次の機会に、、。 なんだかとっても重い話しになってしまいましたが、あなたにとってこの話しが、面白い話しだと思える事を、私個人として思っています。 以上、とんでもなく長文にもなってしまいましたが、ここまでは読んでくれた個人の方には、大変感謝致します。 ありがとうございます!
2019年09月11日01時37分
親の思い子知らず 憎しみのある相手に、愛は存在しない!だっけ でも親子の関係において 存在する場合もある 長女と母 長男と父 特に意味は無し 曇りだけど山が見えるから撮影行こうかな? 美味しいコーヒーありがとうございましたm(._.)m
2019年09月11日03時14分
硝子の心さん、こんにちは。 とりとめもない文章を読んでいただきありがとうございます。 そして、インスピレーションをいただき、この次の写真を考えさせていただきました(^。^) 美味しいコーヒーと、素晴らしい撮影の時間が訪れるよう願っています。
2019年09月23日10時28分
Shuu1さん、こんにちは。 是非、共有しましょう(^ν^) 私も本を読んで、考え方として画期的だと思いました。 かなり個人的な視点が入ってしれませんが、これからもお付き合い下さいm(_ _)m
2019年09月23日10時33分
こんどは難しいお話になってきましたね。 私は物理学や哲学には全然ついていかれませんが、こう月さんが「私たち」という言葉に感じる違和感はたぶん、本来「私」と「世界」と「体験」だけが存在するはずなのに、そこに「公」を感じ取るセンスのない人が「私たち」という大義名分のもとに偏見を押しつけてくるからなのかな、と思えました。違ってたらすみません。(^^;ゞ
2019年10月03日15時42分
hiro.nさん、こんばんは。いつもありがとうございます。 分かりずらい話にお付き合いいただきありがとうございます。 たしかに、私たちという大衆の偏見は、個人の偏見に比べて全く違う性質というか、根本的なところで違和感を感じます。 そこにあるのはもっと不思議かつ、不可解なもので、熟慮すべきことのようにも感じられます。 まだ、全然わかりませんが、新しいテーマのきっかけのようなものに繋がる気がします。ありがとうございます。
2019年11月01日17時12分
こう月
突然ですが私は、"私たち"という言葉が嫌いだ。 多数で個人を威圧しているような感じがするし、この"私たち"には、何か矛盾が含まれているようで、個人的には、訳の分からない憎しみさえ感じている。 そこで、この"私"や"私たち"を正確に説明出来る学問はあるのかと考えてみる。 まずは物理学。 リンゴは重力によって木から落ちる。 そこには私は存在しなくてもいい。 いきなり結論が出た。 物質学では"私"は存在しない。 そこで量子力学の出番である。 量子力学では私がリンゴを見た時点で、リンゴは存在を始める。 リンゴは見る人がいないと、落ちることさえ出来ないのだ。 すなわち、見る私と、見られるリンゴが常に相対的に存在していると考えるのが量子力学である。 なにやらややこしい話しになってしまった。 簡単に説明すると、人は"私"が死んでも世界は続いていくと考えがちだ。 しかし、それを証明出来る人はいない。 だったら、死んだらそこで世界も終わってしまっている可能性もあるのではないか? その可能性に賭けた学問が量子力学である。 なんて非科学的な学問なんだ!! うさんくさいことこの上ない。 それでは逆に、量子力学の他に、"私"が存在した学問などあっただろうか、、? 数学、科学、音楽、経済学、統計学、、、、あった!哲学だ!! アインシュタインの物理学はだいたいの世界を説明した。 しかし、ブラックホールは説明出来なかった。 何故なら、ブラックホールは重すぎたからだ。 ここが物理学の限界である。 物理学が限界にぶち当たって、さらに進化する為に、哲学(うさんくささ)を取り入れたのが量子力学なのだ。 さて、それでは、重いとは何なのか?そもそも一番重いものとは? 一番重いものとは、全てである。 宇宙は元々一つの点で、それがビックバンと言われる爆発をして宇宙が出来たと考えられている。 つまりは、その点が一番重いものである。 ここで一つの矛盾が生まれる。 量子力学では、見るものと、見られるものがあって初めて存在できる。 それならば、その一番重い点を見ているのは、はたして誰なのか? 宇宙がまだ無いのだから見ているものは存在しえない。 他の別な宇宙から見えるかもしれないが、その宇宙を見ているものは誰?っと、永遠に続いてしまって矛盾する。 つまりは、一番重い点は存在しない。 そうなると、量子力学も存在しない。 チャンチャン♪閉店ガラガラ〜♫ っとなってしまう。元も子もない。 そこで哲学(うさんくささ)の登場である。 「我思う故に我あり」 デカルト(1596〜1650) 私は私の存在を疑ってみる。 そうすると疑っている自分が存在してしまう。 その自分の存在を疑っている自分の存在を疑ってみる。 そうするとその自分の存在を疑っている自分の存在を疑っている自分が存在してしまう、、、。 これは永遠に続いてしまう。 この矛盾を解決するには、疑っている自分は存在していると言うしかない。 つまり、思っている自分は存在しているということになる。 "思い"が自分を存在させたのだ! これを量子力学に合体させてみる。 すると、ビックバン以前の一番重い点の流れはこうだ。
2019年09月11日01時03分