GX400sp
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酒を飲み、横浜から港を目指し千鳥足で歩く。 訳もなく氷川丸を撮りたくなり山下公園に向かい歩き出すが 夜だというのに蒸し暑くしばらくして徒歩を断念。病院に待機していた タクシーを捕まえた。 大桟橋側から山下公園に入りほぼ真横に船体を望む位置からレンズを換えながら ゆっくりと氷川丸に向かて歩いた。 以下コメントに続く
ジョニオさん いやいやジョニさんにかっちょいいといわれると嬉しいですよ また木に登っちゃいそうw 写真を撮って家で眺めていると気になり調べるということが たまにあります。調べてみると面白い事が後からわかりとても楽しいです。 この船の事、何かのパンフレットに書いてあったとしてもきっと ちゃんと読みもしないのだろうけど、思いを込めて撮った被写体だと ちゃんと知りたくなります。気まぐれなおっさんです^^
2019年09月02日01時07分
masahikoさん カラーで撮っても見たんですが、手持ちだったのでいい色を探す設定を に詰め切れず、モノクロで逃げております。。。 ま、まぁまぁ悪くないでしょ(-_-;)
2019年09月02日01時09分
ジョニーさん 重み、ありますね。 身近な景色に溶けんでいた船の歴史を垣間見て、私なりに感じる事がありました。三次会を断ってよかったです。 ※とんでもない店で、ドはまりしたとの噂です(笑)
2019年09月07日08時18分
GX400sp
夕闇にスッと浮かぶ船体がとても綺麗な形をしていたことに今更気が付き 驚いた。旨くこの素敵なプロポーションを写真に収められないかとアングルを 変えるがままならず。ハガユイ。 氷川丸。 横浜に近い都内で育った私は子供のころからなじみのある場所でなじみの ある船であり、親からは戦後の在外日本人の引き上げ船として活躍した という話をよく聞いていた。改めてネットで調べてみると、この船の 生きざまの紆余曲折に感慨を覚える。(wikipediaよりかいつまんで。) 1927年日本郵船の発注で北太平洋航路の貨客船として建造開始、 3年後の1930年シアトルへの航路に就き処女航海。フランスの マーク・シモン社が内外装の装飾を手掛け、アールデコ様式のインテリア、 一流のシェフによる料理の提供など当時としては相当豪華な船であった。 そのサービスが話題となりチャップリンや秩父宮夫妻をはじめとする 著名人の乗船もあった。 1941年シアトル航路の廃止を決定。日本海軍に徴用され「特設病院船」 としての第二の人生を歩む。東南アジアなどで28回の出動、3万名以上の 負傷兵の輸送を行う。戦時中機雷による損傷2回。 終戦後は在外日本人の引き上げ船として4万5千人もの引揚者を日本に 連れ帰り、その後国内航路船として、さらにシアトル航路への復帰を 果たし1960年現役としての最終航海を終える。 太平洋の横断238回、2万5千人余りの乗客を乗せた。 1961年ここ横浜に係留され、横浜市有形文化財、経産省近代化産業遺産 そして3年前には国の重要文化財と指定されている。 なんという生き様、まさに日本の近代史の荒波を超え生きた素晴らしい 船であります。 そして昨晩は酔っ払いの撮影に付き合ってくれた。(^^)v 今度カメラを向けるときはもっと敬意をもって望みます!
2019年09月01日15時41分