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ニューヨークがまだ危ない街だった頃には、5番街に自転車なんて想像もできなかった。 いまのマンハッタンはバイク(Bike/自転車)がよく似合う。 ペニンシュラの前にバイク・メッセンジャーが・・。サマになっている。 メッセンジャーの存在が、一般の人々をシティ・バイクライディングに導いたと言ってもいいかも知れない。
ニューヨークからのお写真でも何台かの自転車を拝しましましたが バイク・メッセンジャーが盛んになったのですね。 以前は自転車ではいろいろな面で危険だったのでしょうか。 今はそれだけ安全な街になったということでよかったです。 日本でもそうですが交通量が多いとありがたい存在と思います。
2019年07月06日08時39分
michyさん ジュリアーニが登場する前は、ニューヨークは汚くマフィアの巣窟でした。街にはギャングからチンピラまでが大勢いて、自転車などで走れるものではありませんでした。車に乗ることは身を護る手段でもありました。 1980年代前半に連邦検事になったジュリアーニは、ニューヨークのマフィア掃討作戦に乗り出しました。さらにその10年後、ニューヨーク市長になった彼は、徹底的に犯罪の取り締まりを行いました。彼のNYC浄化作戦は、都合15年に及び、その結果ニューヨークは、アメリカ一安全な大都市と言われるようになりました。 彼は生っ粋のニューヨークっ子。生まれ育った街を愛していたのでしょう。それにしてもすごい。彼は奇跡を起こしたのです。
2019年07月06日10時05分
以前yoshi.sさまから割れ窓理論のことをお聞きした覚えがあります。 あの時のニューヨーク市長がジュリアーニさんだったのすね。 当然その恐ろしいニューヨークもご存じで、今のニューヨークは感慨深い事と思います。 15年にわたる浄化作戦で安全な街にした奇跡は称賛してもしきれません。 再び思い起こさせて頂きました。ありがとうございました。
2019年07月06日11時29分
僕がはじめニューヨークに行った時は多分1980年ごろだったと思います。 多分まだ物騒な頃だったんでしょうね。 友達と一緒に寿司を食べましたが安くて旨かったな〜〜 帰りは必ずイエローキャブに乗ることと念を押されました。 あれが一番信頼出来たんですね^^
2019年07月08日03時44分
キンボウさん 1980年初頭は、ニューヨークはまだ安全な街ではありませんでした。 車に乗ることは安全策の一つでしたね。 もう一つ。Yellow-cabと念押しされたのは、公共タクシーだからだと思います。当時は白タクが横行していて、ぼったくりに会う被害が多かったのです。いずれにしても、ニューヨークは安全な街ではなかったのです。
2019年07月08日15時25分
ジョニー森永
相当以前からNYCに行っているのですね。私も夜、駆け足で歩いたのを思い出します。しかし、魅力的な街。
2019年07月05日23時56分