yoshi.s
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蕾、そして花が開いて種を作り、さらに飛散していく姿を一本の草花の茎に見た。 一枚の画にしてみると、この花の一生を俯瞰したかのようで、不思議な感じがする。 しかし人間に置き換えてみると、少し前まで多くの家で見ることができた光景だ。 私自身、子供のころは8人家族で、祖父母、父母、弟妹たちと一緒に暮らしていた。少し離れてわが家族を見ることができたら、この画のように見えたかもしれない。 子供の頃には、果てしのない人生のように思えたが、いま振り返れば一瞬(ひとまたた)きの間だった。ちょうどこの画のように。
友達宅が今どき珍しい7人家族だと話していたところだったっす ひと昔ふた昔前まではあたりまえのようだったっすよねぇ どこの”え”(家)さ遊びに行ってもワヤワヤど人がいて 一緒におやつをご馳走になったもんだすわぁ 懐かしいっすねぇ この画像をみれば誰しも懐かしい思いをされるっすべなぁ
2019年06月23日14時46分
いずっちさん ご自身のことを親しくお話し下さり嬉しく思います。 おっしゃる通りです。 いま何ごとも無く、ときには幸せに暮らしているとすれば、このままずっとこうあって欲しいと思うのですが、いのちの流れは止まることがありませんね。誰にも押しとどめることはできないのです。 とすれば、おっしゃる通り、生きているこの今を丁寧に大切に生きることこそが幸せの本質なのでしょう。たとえ苦しみの中にあったとしても。
2019年06月23日14時53分
ぢ〜さん ねえ。子供から年寄りまでが一緒にいたのが家族だったのですよね。 田舎に住む私ですらも、もうそうではないのです。 めんどくさくはないけれども、これが幸せの形なのかな、と疑問に思います。
2019年06月23日15時04分
蕾から綿毛迄の3つの過程を通して家族の在り方を考えるきっかけを頂きました。 先日田舎に一人で住んでいる姉が「ひとびんぼう」と言いました。 びんぼうという言葉は適切ではないかと思いますが、 姉のこと自分のことを考え自分は寂しくないと思っているのに何だか涙がでました。 時代とともにそうなりましたが本当の幸せって何だろうと思います。
2019年06月23日16時00分
michyさん ひとびんぼう、ですか。心に迫る言葉です。 私は27歳の時にアメリカを一人で歩き回りました。何ヶ月も。目は楽しくとも、心はとても寂しかった。その時に、幸せは人と共に生きることだと得心しました。それは今も変わっていません。家族、そして友です。できればご近所、社会的な繫がり。なにを措いてでも、人とのつながりこそが生きていく力です。それが幸せの正体なのだと思います。 お姉様は、michyさんにお会いできてとても幸せだったと思います。その幸せは、別れた後でも心に残り、彼女の人生を潤すことと思います。
2019年06月23日19時56分
大家族ですね。 三世代いや四世代も? 以前は農家では珍しいことではなかったのですが、近年 少なくなりました。 ところで老婆心ながら、これはイワニガナではないでしょうか。 タンポポでないことは確かです。 たんぽぽの茎は一人家族です。 皆様のコメントに水を差すようで申し訳ないのですが、 どうも落ち着きませんので。
2019年06月23日22時20分
旅鈴さん そうですか。たんぽぽは一人家族。なるほど。 綿毛と黄色い花でたんぽぽと思い込みましたが、そう言えばそうですねえ。 イワニガナと言うのですか。私自身の確証がありませんので、草花と訂正しましょう。 ありがとうございました。
2019年06月23日22時40分
いずっち
今朝、祖母の写真を眺めてたとこでした。 働き者の祖母は片手に雑巾握ったまま、笑顔でこちらを向いてます。 私が中学生の時撮った写真です。 このたんぽぽの画を見て、ぐっときました。 今は父がもうなにも話せず寝たきりの状態です。 生あるものはいずれは別れが来るとわかっていても、受容できない自分もいて。 このままでいいから生きててほしいと理不尽な事を思ってしまったり。 私の家は7人家族でしたが みんなこのまま元気でいるのが当たり前と思っていました。 振り返ってみれば かけがえのない一瞬だったのですね。 今を大切に一日一日過ごしていこうと改めて思いました。長々と失礼しました(^▽^;)
2019年06月23日14時19分