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松重閘門は、大正期に名古屋市都市計画事業の一環として、自然河川「中川」の川幅を拡張する形での中川運河整備が計画された際、並行する堀川との連絡を図る必要性があげられたことにその誕生の端を発する。両者を接続するにあたり、堀川と中川運河では堀川の水位が約1m高いため、パナマ運河と同様の閘門による水位調節を行う事となり、1930年(昭和5年)に建設を開始、1932年(昭和7年)から供用が開始された。運用開始時には「東洋一の大運河「東洋のパナマ運河」として名古屋名物の1つとなったという。 Wikipediaより引用