sugichan
ファン登録
J
B
大きな字で書かれていますね。 残念ながら、旧道の峠に近いので、寂れていて訪れる人は少ないです。 内々(うつつ)神社の前の宿場を内津(うつつ)といいます。この道は昔「下街道」と呼ばれ、名古屋から信州、あるいは飛騨へ通じる街道でした。明治の初めころまでの内津には旅籠10戸、問屋13戸を含む人家130戸があり、尾張の東部、東濃地方にまたがる取引の中心として栄えました。 鵜飼邸(屋号 舎・・やまきち)・・・元治元年(1864)に建築されたと伝えられています。