sugichan
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この獅子は口を開いています。 平定を終え、日本武尊は陸路、信州~東濃大井を経て尾張との国境にある内津峠に差し掛かった時、東海道を海路帰国しつつあった建稲種命が、駿河の海で不慮の水死をしたことを早馬で知らされたのです。 それを聞いた日本武尊は、「あゝ現哉(うつつかな)々々…」と嘆き悲しまれ、その霊を祀ったのがこの神社(内々神社)の始まりとされます。