yoshi.s
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わがふる里、手綱(てづな)の地。 水戸藩附家老の城下だったふる里は、二万石の稲田を抱えた豊かな地域だった。 小中学校とも城跡にあり、子供心に誇りに思った。 しかし後年、林業や炭坑業の衰退、離れたところへの鉄道敷設などによって、街の中心は駅近くに移り、流れゆく時代に取り残された。今はどこにでもある田舎に過ぎない。しかしそのおかげで、子供のころに見た風景が今に残る。私の中のささやかなプライドも、わずかながら今に残っている。 私の実家は奥の山なみ、阿武隈山系の麓にある。山紫水明のふる里だ。
まさに山紫水明! 小中学校が城跡!なんとすんばらしい(^.^)b 自然と歴史も学べるっすよね この広々とした刈り取り後のヒコバエのでた田園 大人になっても走り回りたくなりませんか
2018年10月23日15時03分
オーちゃんは、ほとんど神戸っ子みたいなものですが、生まれた故郷は三重県のこんな感じのところです・・!♪ いまでも親族たちが住んでいますので、時たま用があり行くことがありますが、昔とは風景がだいぶ変わってきましたが・・!♪
2018年10月23日17時11分
私の故郷は、まだ日本にいた頃既に変わっていました。 迂回していた国道が真っ直ぐになり、 昔の国道沿いが廃れました。 棚田みたいだった田圃は、区画整理とかでつぶされ、 平ったくなりました。 昔の面影はありません。 ですからこうした昔ながらの光景をご覧になれるのは、 とても幸せなことだと思います。
2018年10月23日22時03分
素朴な素晴らしい所で子供時代を過ごされたのですね。。 小、中学校が城跡にあったなんてほんとに誇りに思えますね。。 故郷の無い私にとっては羨ましい限りです(*^_^*)
2018年10月23日23時24分
ぢ〜さん 代々藩主だった家の子孫が、明治以降、城砦を取り壊して、その跡地を市に寄付したのです。 ですから校庭に、濠が池になって残っていたり、江戸時代の倉があったり、裏山には物見櫓の跡があったりと、遺構がずいぶんとありました。校舎は、もとの馬場跡に建っていました。 おっしゃる通り、生徒は皆その歴史を学びました。
2018年10月24日00時46分
写楽旅人さん 水戸藩の家来とは言っても、将軍の命による附家老ですから身分は高く、この豊かな田地を与えられていたのです。 北海道はさらに広い開拓地ですから、とても比べ物にはならない広さでしょう。
2018年10月24日00時52分
オーちゃん!さんもこのようなところで生まれたのですか。 子供のころは、田舎だなあ、と思っていましたが、今となっては、このままであって欲しいと思います。
2018年10月24日00時56分
旅鈴さん 便利さと情緒とのどちらを取るかですね。 少し前までは、便利さ一辺倒でしたが、近年になって情緒を大切にしようという空気になって来ましたね。電線を地下埋設しようという動きもその一つでしょう。 日本橋の上の首都高速道路を付け替える計画もまたその一つ。 みんなの意識が上がって来たということでしょうね。
2018年10月24日01時03分
おさげ髪さん 田舎だったのです。 でも、自分たちはお城で学んでいるんだ、というプライドがありましたね、 おさげ髪さんは故郷がないのですか? 田畑や山、川がないだけで、道があり、公園があるでしょう。建物の角、家並みやビル。 都会でも故郷ですよ。
2018年10月24日01時08分
yoshi.sさん 仰る通りですね。私は都会で生まれて育ちました。でも子供の頃、田舎の祖父母の家には 時々遊びに行ったりはしていましたが、県庁所在地の市内でした。 都会でも公園があり綺麗じゃないですが川もあります。 そこを故郷と思えば故郷ですが、、やはり故郷のイメージは「うさぎ追いしかの山」の世界なんです。 子供の頃に情緒などが養われるのでしょうね。。 yoshi.sさんの詩や俳句をみせて頂いてそのように感じます。精々公園を散歩したり自然と 触れ合うようにしてみます。「都会でも故郷ですよ」って言って下さりとても嬉しく思いました。有難うございます(*^_^*)
2018年10月25日00時25分
おさげ髪さん 私などには、逆に、都会の故郷がどんなものか、興味のあるところです。 店とか、学校とか、その道とか、近所の人たちとか、いろいろと想像できます。
2018年10月25日17時09分
裕 369
刈取り後の田んぼ美しい田園風景ですね。
2018年10月23日14時35分