- ホーム
- 企迷羅鼠(kimera)
- 写真一覧
- 日本軍の防空壕~インドネシア Lubang Jepang
企迷羅鼠(kimera)
ファン登録
J
B
J
B
インドネシアのスマトラ島ブキティンギのパノラマ公園の日本軍が掘った防空壕。2018/07/10 Underground bunkers and tunnels built by the Japanese during World War II at Panorama Park in Bukittinggi,Sumatra,Indonessia. ☆スマトラの防空壕に雑魚寝して小夜更けぬれば父母を恋いけむ
MN0002さん、早速のコメントありがとうございます。 旧日本陸軍の第25軍司令部が築造した防空壕が観光名所になっています。防空壕の中は整然と区画されて、落盤などは殆どないようでした。 フィリッピンはインドネシアと違って、アメリカからの独立が約束されたいたところに侵攻したのでフィリピン人の抵抗が激しかったようですね。 叔父様のような方々の犠牲のうえにえられた平和の尊さを思うべきですね。
2018年10月12日19時02分
Hummel Noteさん、コメントありがとうございます。 凸凹の壁が生生しいです。五月雨式に観光客が訪れるので写真を撮るために幾度か待ちました。 防空壕の長さは1,470m、トンネルの数21、穴の直径3mという記述がありました。 Bunker bawah tanah ini memiliki panjang 1,470 meter (bunker:地下壕) Terdapat 21 terowongan di dalam bunker (terowongan:トンネル) Tiap terowongan berdiameter 3 meter
2018年10月12日19時06分
日本軍がインドネシアを統治したのは3年半程度ですが、その間にこんな穴を掘っていたのですね。 インドネシアはかなり友好的な統治だったようだから、これはインドネシア人が日本の指導の下に掘ったのでしょうかね。 スマトラ島自体では大規模な戦闘はなかったようですが、インパール作戦で南方が破たんした後は、そこにいる日本の兵隊は心細かったでしょうね。
2018年10月12日20時48分
頑張れ!てんちゃんさん、コメントありがとうございます。 ブキティンギに陸軍第25軍の参謀本部が置かれ、スマトラ島全域を統括することになったので、こんな大きな防空壕を作ったわけですね。 現地労働者には日当も支払い、虐殺はおろか負傷者も出ていないなどの証言もあるそうですから、ここの作業にもインドネシア人が多数加わったのでしょう。 インパールの敗退は敗戦の約1年前ですから、すでに各地で戦争が泥沼化した時期で、ここにも様々な憶測や噂が飛び交って赤紙で招集された兵士達は戦々恐々だったのではないでしょうか。
2018年10月12日22時38分
先程のコメントを削除したのは防空壕を塹壕と間違えていたからです。 父は中国大陸に召集されましたが、生前、戦争の体験談をよくしてくれました。その中で塹壕の話をする時が一番つらそうでした。何日も何日も同じ姿勢を強いられたそうです。 こちらは防空壕ですものね。どうもイメージが違うと思いました。戦争体験はこうして風化してしまうのですね。
2018年10月12日22時47分
想空さん、コメントありがとうございます。 ご尊父が招集されたのですか。ご生還されて何よりでした。 防空壕と掩蔽壕と塹壕があります。トーチカは掩蔽壕の一種です。 ★一万尺の山の頂に掘りなして掩蔽壕と防空壕とがあり(宮柊二) ★総攻撃の酒汲みてゐし夜の塹壕に敵退却の報伝はりぬ(渡辺直己)
2018年10月13日09時12分
MN0002
保存状態が良いですね岩盤でしょうか。 私の叔父はフィリピンで戦死しました。
2018年10月12日06時37分