ち太郎
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ナホトカ(旧ソ連)からのシベリア抑留者引き揚げ船に「女性が乗っていた珍しい」と舞鶴港にて駐留米軍(GHQ)が撮った写真です。この中の一人が私の母です。当初ハバロフスクに連れて行かれた時は坊主頭になったそうです。髪の毛が伸びていますのでその年月がうかがえます。住所を書いて渡したところ、後日ちゃんと印画紙が送られてきました。写真はいただいた原盤(70年以上前)そのものです。回りの白地を入れ、褪色がわかりますようカラーでスキャンしました。ほぼ無修正です。
貴重な記録だと思います。 女性たちの何とも言えない表情が、 その時の正直な気持ちを映しているようです。 やはり写真の力はすごいなぁと再認識しました。
2018年08月15日00時57分
ソ連軍は北海道を占領するために進軍し、当時の日本人たちに、ここでは書けないほどの残虐な行為を繰り返したと資料や証言が残っています。 写真の女性たちも表情から、現代人が想像もできないような苦労をしてきたのでしょう。 存命の人は少ないかもしれませんが、ご冥福をお祈りします。
2018年08月15日08時14分
doctorwho様、コメントありがとうございます。 旧ソ連から帰って来たらいきなり米軍ですから--気持ちは想像を絶します。それが表情にも現れているようです。
2018年08月15日15時10分
ラン66様、コメントありがとうございます。 カメラ、フィルムなど今となっては知る由もありませんが、スキャンして改めてその性能の高さに驚きました。セピア色にはなってますが、まだ充分耐えられます。また、当時の状況下できちっと送付されてきたというのも驚きを隠せません。 日本人抑留者の収容所を点々として、看護婦のようなことをしていたようです。 写真をお送りした旧軍人で抑留された方は、この写真を毎晩枕の下に入れて寝ているそうです。
2018年08月15日15時19分
この時代の撮影でこの精度、保存性の良さ。驚きました。 キャプションを拝読していて、ち太郎さんという人間の奥深さに触れた気がしました。 戦争や災害だけでなく、日常の中でも負から生まれる幸がありますよね。そのことで葛藤があったとしても、それは運命として純粋に喜ぶべきなのでしょう。負にも大切な意味があることを信じて・・・。 この写真が記録以上に、「心」として後世まで色褪せませんよう・・・。
2018年08月15日23時34分
ペロンターノ様、コメントありがとうございます。 この後、数年経って結婚して私が産まれるわけです。ペロンターノ様がおっしゃる通り、負からも生まれる幸を純粋に喜ぶことが必要かと心に刻みます。 だいぶ経ってから、父がダビタヤの病院でロシア人の婦長にモテたことなどは笑い話としてしてました。聞いている父はぶすっとしたままでしたけど--。
2018年08月16日00時16分
オズマ様、コメントありがとうございます。 オズマ様の終戦に関する過去(2015年頃ですか--)の写真も拝見いたしました。今年は都合があって15日靖国神社には行けませんでしたが、いずれ行きたいと思っています。
2018年08月17日22時39分
ち太郎
↑ この問題は、2016年12月15日にNHK BS1スペシャル「女たちのシベリア抑留」として放送されました。 数少ない女性抑留者の母が父と知り合ったのは抑留先のライチハにあったザビタヤの病院。シベリアの地でこの数奇な出会いがなければ私も生まれてはこなかったでしょう。戦争は嫌ですがなんとも複雑な気持ちになります。 とりあえず現在写真は複写をしてネガを保存しています。どうしても欲しいという何人かの元軍人の方に焼いて送りました。原盤と詳細はアメリカの公文書館にあると思います。
2018年08月15日00時34分