mizunara
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J
B
長くなったのでコメントに。
僕も語りかける様な感じでは撮ってないですね~。 と言うか、深く考えていないのが正直なところ。(笑) 僕も人は基本的に入れません。 なんだろう、その理由についても深く考えた事は無いのですが・・・ 人嫌いなんですね、きっと。(笑) 北海道、また行きたいな。 この雄大な大地と、綺麗な幾何学模様? とっても大好きです。
2018年06月21日10時41分
「語りかけてくるような写真」・・・そうですね。 「僕がその景色を撮ったとき、そこでは確かに、 その景色から何かを語りかけられていたような気がします。 その声に応えて撮っているような感じ。その感じが、 写真を通して、観る人に届いている。」 写真は、被写体が何であれ撮影者の自己表現だと考えています。 ですから同じ被写体を撮って、他人と差異が見いだせなければ 意味がないと考えていました。 その自己の思いを出す前に「被写体が語り掛けてくる声を聞く」 ことには、思いが至らなかったですね。 インスタのHiroさんフォローさせていただきます。
2018年06月25日10時46分
ninjin さん、 写真は自己表現、というのは僕も同意です。 意識的にせよ、無意識的にせよ、写真には撮り手の意図が写ってしまうものですね。 写真において「鏡と窓」という概念がありますね。「鏡」とは、撮り手の意図や主張が写っている写真、「窓」とは、被写体がストレートに写っている写真。 写真は表現か記録か、という考えにも似ています。 僕はできるだけ自分の意図が写らない写真、つまり「窓」の写真を撮ろうとしているのですが、そうした写真をある程度まとまった枚数で見ると、自分というものがどうしょうもなく表現されてしまっていることに苦笑してしまいます。
2018年06月27日23時20分
mizunara
僕の写真について、フォロワーの方から「語りかけてくるような写真」とコメントしてもらったことがあります。 素直に嬉しかったのですが、でも考えてみると、僕は写真を観る人に向けて何かを伝えたいと思って撮っている訳ではありません。 つまり、僕が観る人に何かを語りかけている訳ではない。では何が語りかけたのか。 それはやはり、そこに写っている景色なのだろうと思います。 そう思い到ると、僕がその景色を撮ったとき、そこでは確かに、その景色から何かを語りかけられていたような気がします。 その声に応えて撮っているような感じ。その感じが、写真を通して、観る人に届いている。 そう考えると、しっくりきます。 そういえば僕は、あまり人の入った景色を撮りません。 人にレンズを向けるのが苦手だということもありますが、 人が入ると、景色の声が聞こえなくなってしまうんですね。 人の存在感はとても大きいので、景色からの声はかき消されてしまうのでしょう。 景色の声に耳を澄ませているときには、人が発する声は大きすぎる。 森でも、海辺でも、荒野でも、そして街でも、 好奇心にまかせてさすらっていれば、何かしら景色の声が聞こえてきて、それに応えるように撮っている。 主体的な行動としての撮影ではなく、受動的な反応としての撮影ですね。 では、その声が語る内容は何なのだろうか、僕に聞こえてくるのはどんな話なのだろうか、 きっと僕には聞きとれない声もあるのだろう、そんなことを考えました。
2018年06月20日22時57分